どこの海に行っても、ウィンドサーフィン楽しめるといいですね。
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木曜日, 10月 24, 2013
土曜日, 2月 26, 2011
吉田のうどん この夏本栖湖に行くときは食べてみたい。
富士吉田 といえば、ウィンドサーフィンしに、本栖湖へ訪れるときにとおる町だ。富士五湖道路のインターチェンジでもあり、夏場の私の活動を支える重要な場所だ。
今日は、「食彩の王国」というテレビ番組で、「吉田のうどん」を特集していた。
吉田に多い安くておいしい手打ちうどん。店は多くても、うどん屋さんは、作った分をお昼にうりさばくとそれで店をしめてしまうという。だから、ウィンドサーフィンしに行った時も、お昼に富士吉田で食事できるタイミングでいくのがよさそうだ。
あるうどん屋さんの、様子を映像で伝えていた。
原料は、小麦粉、塩、水。富士山から湧き出る水がおいしさを支える。前の日から小麦粉を練り、生地を何層にも積み重ねて、そしてまた練る。生地の発酵を促し、翌日、腰の強くなった生地をさらに練って薄く延ばす。
だしは、カタクチイワシと昆布とかつおぶしを2時間煮詰めたもの。
開店直前に生地をのして麺を切断する。
結構手間がかかっていて、筋力を使う仕事だ。できたうどんは、みるからにこしがあっておいしそうだ。
肉うどんも紹介していた。馬肉をしょうゆと砂糖で煮込み、玉ねぎを投入して作った具をトッピングしたうどん。牛肉より臭みがなくておいしいという。
馬肉は、先日丸ビルで食べたけど、あっさりしていてヘルシーでもあるので、是非一度食べてみたいと思う。
番組では、吉田のうどんが栄えた歴史も紹介していた。
吉田は、昭和20-30年代。繊維産業がさかんな町だった。工場で働く女性たちや都会から織物を買い付けにやってくる商人たちをめあてにうどんやが立ちはじめた。うどんをうつのは男たちの仕事。
女性は機屋(はたや)で仕事をし、旦那はうどんを作るという役割分担で、家に客を招いてうどん屋を始めるものもいた。こうして富士吉田には安くてうまいうどん屋がふえていった。
吉田のうどんの原点は山梨名物「ほうとう」。幅広の麺を野菜とぐつぐつ煮込む料理。書物に登場するのは、うどんより古く、平安時代に中国から伝わったとされている。甲斐の名将武田信玄がこのほうとうを合戦での陣中食としていた。山梨では武田汁ともいわれる。
もうひとつ、うどんは江戸時代盛んになった富士山信仰にかかせない名物でもあったようだ。富士吉田は、昔から富士山にもっとも近い登山口として栄えた。金鳥居は、かつては、一の鳥居とよばれ、吉田口登山道の起点とされた。
関東近郊からは富士山を崇める富士講の人々が毎年大勢やってきた。彼らは神職を務める御師の家に寝泊まりし、翌朝ここから富士山を目指した。(御師とは参詣する人々と神仏との仲立ちをする御祈祷師の略)
この富士講の人たちにふるまう特別なうどんもあった。
湯もりうどん。うどんをあたためうつわにもり、お湯だけをかける。白一色で、汚れの内容に身を清めて食べるものということで作ったもの。
夏、富士山信仰に人たちは、御師の家でみそぎをし、真っ白なぎょういをまとって霊峰富士へと昇る。おなかにはいるものも、けがれない真っ白なものがいいと、湯もりうどんがうまれ供されるようになったという。
今では、しょうゆやみそだれがおかれ、好みの味付でいただくようになったそうだ。
以下に富士吉田あたりの地図を表示しておいた。
うどん で検索すると何軒か出てくる。
より大きな地図で 富士吉田界隈の地図 を表示
本栖湖ウィンドサーフィンの楽しみが、ひとつ増えた。
今日は、「食彩の王国」というテレビ番組で、「吉田のうどん」を特集していた。
吉田に多い安くておいしい手打ちうどん。店は多くても、うどん屋さんは、作った分をお昼にうりさばくとそれで店をしめてしまうという。だから、ウィンドサーフィンしに行った時も、お昼に富士吉田で食事できるタイミングでいくのがよさそうだ。
あるうどん屋さんの、様子を映像で伝えていた。
原料は、小麦粉、塩、水。富士山から湧き出る水がおいしさを支える。前の日から小麦粉を練り、生地を何層にも積み重ねて、そしてまた練る。生地の発酵を促し、翌日、腰の強くなった生地をさらに練って薄く延ばす。
だしは、カタクチイワシと昆布とかつおぶしを2時間煮詰めたもの。
開店直前に生地をのして麺を切断する。
結構手間がかかっていて、筋力を使う仕事だ。できたうどんは、みるからにこしがあっておいしそうだ。
肉うどんも紹介していた。馬肉をしょうゆと砂糖で煮込み、玉ねぎを投入して作った具をトッピングしたうどん。牛肉より臭みがなくておいしいという。
馬肉は、先日丸ビルで食べたけど、あっさりしていてヘルシーでもあるので、是非一度食べてみたいと思う。
番組では、吉田のうどんが栄えた歴史も紹介していた。
吉田は、昭和20-30年代。繊維産業がさかんな町だった。工場で働く女性たちや都会から織物を買い付けにやってくる商人たちをめあてにうどんやが立ちはじめた。うどんをうつのは男たちの仕事。
女性は機屋(はたや)で仕事をし、旦那はうどんを作るという役割分担で、家に客を招いてうどん屋を始めるものもいた。こうして富士吉田には安くてうまいうどん屋がふえていった。
吉田のうどんの原点は山梨名物「ほうとう」。幅広の麺を野菜とぐつぐつ煮込む料理。書物に登場するのは、うどんより古く、平安時代に中国から伝わったとされている。甲斐の名将武田信玄がこのほうとうを合戦での陣中食としていた。山梨では武田汁ともいわれる。
もうひとつ、うどんは江戸時代盛んになった富士山信仰にかかせない名物でもあったようだ。富士吉田は、昔から富士山にもっとも近い登山口として栄えた。金鳥居は、かつては、一の鳥居とよばれ、吉田口登山道の起点とされた。
関東近郊からは富士山を崇める富士講の人々が毎年大勢やってきた。彼らは神職を務める御師の家に寝泊まりし、翌朝ここから富士山を目指した。(御師とは参詣する人々と神仏との仲立ちをする御祈祷師の略)
この富士講の人たちにふるまう特別なうどんもあった。
湯もりうどん。うどんをあたためうつわにもり、お湯だけをかける。白一色で、汚れの内容に身を清めて食べるものということで作ったもの。
夏、富士山信仰に人たちは、御師の家でみそぎをし、真っ白なぎょういをまとって霊峰富士へと昇る。おなかにはいるものも、けがれない真っ白なものがいいと、湯もりうどんがうまれ供されるようになったという。
今では、しょうゆやみそだれがおかれ、好みの味付でいただくようになったそうだ。
以下に富士吉田あたりの地図を表示しておいた。
うどん で検索すると何軒か出てくる。
より大きな地図で 富士吉田界隈の地図 を表示
本栖湖ウィンドサーフィンの楽しみが、ひとつ増えた。
水曜日, 11月 17, 2010
薩摩温泉記
薩摩へ。
平日の昼下がり、銭湯によってみる。温泉だ。
鹿児島の銭湯はすべて温泉。入ると、お肌がつやつやするとか、リラックスするとか様々な効用を感じる。
平日の昼下がりに銭湯に入るなどとは、ちょっと働いている方に申し訳ないという気もする。でも、日ごろ頑張っている自分へのご褒美と思えば、至極の贅沢だと楽しんでもいいだろう。そう思って自分を諌める。
窓から、少し傾いた日の陽光が差し入れている。窓のガラスはすりガラスで、木漏れ日の陽光を受け止めて輝くのだが、ゆらゆらと揺れる葉影をシルエットに映し出している。木漏れ日はそのすりガラスを介して浴場内に差し込み、ふわふわとした湯気に日光の陽と葉影の陰の文様を刻みいれている。不思議な文様を映し出した光のカーテンが幻想的にたなびいている。
温泉に陽光が届いている。
その差し入れる陽光の中に入って、光の浸入する窓ガラスを見る。
まぶしい!。
輝くすりガラスの窓に、木漏れ日の葉影がざわざわとうごめいている。
そのまばゆい光は湯気にたゆたいながら、そして金色に輝いている。
葉影はさらに深い文様となって湯気の表層を流れていく。
温泉の香りが漂っている。
はじける気泡が、空気を変えている。
様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。
そして多くの音を感じる。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。
湧き出でる温泉なのか、ジェット気流なのか、気泡のマッサージと、はじける気泡の音やしぶきに再び気づく。
体の中の血が、温められて、きっと温泉のミネラルを肌からあるいは呼吸から存分に吸収して、体の隅々までわたるようだ。
平日の昼下がり、銭湯によってみる。温泉だ。
鹿児島の銭湯はすべて温泉。入ると、お肌がつやつやするとか、リラックスするとか様々な効用を感じる。
平日の昼下がりに銭湯に入るなどとは、ちょっと働いている方に申し訳ないという気もする。でも、日ごろ頑張っている自分へのご褒美と思えば、至極の贅沢だと楽しんでもいいだろう。そう思って自分を諌める。
窓から、少し傾いた日の陽光が差し入れている。窓のガラスはすりガラスで、木漏れ日の陽光を受け止めて輝くのだが、ゆらゆらと揺れる葉影をシルエットに映し出している。木漏れ日はそのすりガラスを介して浴場内に差し込み、ふわふわとした湯気に日光の陽と葉影の陰の文様を刻みいれている。不思議な文様を映し出した光のカーテンが幻想的にたなびいている。
温泉に陽光が届いている。
その差し入れる陽光の中に入って、光の浸入する窓ガラスを見る。
まぶしい!。
輝くすりガラスの窓に、木漏れ日の葉影がざわざわとうごめいている。
そのまばゆい光は湯気にたゆたいながら、そして金色に輝いている。
葉影はさらに深い文様となって湯気の表層を流れていく。
温泉の香りが漂っている。
はじける気泡が、空気を変えている。
様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。
そして多くの音を感じる。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。
湧き出でる温泉なのか、ジェット気流なのか、気泡のマッサージと、はじける気泡の音やしぶきに再び気づく。
体の中の血が、温められて、きっと温泉のミネラルを肌からあるいは呼吸から存分に吸収して、体の隅々までわたるようだ。
温泉の香りが肺の奥を通して、心の深くまで浸透していく。
顔の近くではじける気泡が、なんだかやさしい。頬ずりしているようだ。
様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。
温められた血が、温泉の成分を体中に運ぶ。
そして、光のカーテンが記憶を包む。
どこかでみたような・・・・デジャヴュ。
時は流れどこにももどれないはずなのに。
記憶だけが逆流する一時。
温められた血のせいだろうか?
これが、多くの人をとらえてやまない温泉の魅力なのだろうか。
日曜日, 10月 17, 2010
城ケ島旅情
三浦半島の最南端。城ケ島。
関西で赴任してこられた方が、職務でストレスを感じていらっしゃるらしい。三浦巡りでもしてみましょうか?ということになった。自然が豊かで、晴れればそれなりに爽快感ありますよ・・・・。
ちょっとしたおもてなしのために企画したドライブとはいえ、城ケ島は自分としても初めての地。
期待感もある。ネットで調べると、自然の魅力とともに、北原白秋の「城ケ島の雨」の話題が・・・。
以下引用
この詩から、ロマンの島と憧れを抱いた若い男女が、多く訪れたという話も印象深い・・・・。
関西で赴任してこられた方が、職務でストレスを感じていらっしゃるらしい。三浦巡りでもしてみましょうか?ということになった。自然が豊かで、晴れればそれなりに爽快感ありますよ・・・・。
ちょっとしたおもてなしのために企画したドライブとはいえ、城ケ島は自分としても初めての地。
期待感もある。ネットで調べると、自然の魅力とともに、北原白秋の「城ケ島の雨」の話題が・・・。
以下引用
『城ヶ島の雨』は、白秋が三崎滞在中の1913年に演出家島村抱月の依頼で作られた。島村は自身の主宰する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために白秋に作詞を依頼、作詞後すぐに梁田貞によって曲が付けられ、1913年10月30日、東京有楽座にて梁田自身の独唱(ピアノ:松平信博)で発表された。附曲された白秋の詩としては第一号である。城ヶ島や三崎の風情を詠っており、奥田良三が吹き込んだレコードが全国的にヒットすると、城ヶ島はロマンの島として全国に知られることとなり、憧れを抱いた若い男女が大勢来訪した。附曲した作曲家としては梁田の他に山田耕作(1923年)、橋本國彦(1928年)がいる。また、1950年と1959年には同名の映画も作られた。
『城ヶ島の雨』 [編集]
雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ
情緒豊かな詩だ。海に降る雨の風景に、利休鼠という色を与えて、苦難や憂慮を暗示している。
そのあと、雨を「真珠、霧、私の忍び泣き」といくつかの形で表現し、陽と陰、明と暗、強と弱、具象性と抽象性、憧れと寂しさ、富と淡さを対比する中に真実を問いもとめている。海に船出する船頭の心意気=勇気に、確かな答えを感じながら・・。
雨に煙る一風景だ。
いい詩だ。
この詩から、ロマンの島と憧れを抱いた若い男女が、多く訪れたという話も印象深い・・・・。
車で訪れてみると、島の北側に町が開けている。つまり、三浦半島側。
そうか、外洋にさらされている南側は、台風などの時の自然の猛威に直接さらされるので、より安全な北側に町はひらけたのだろう。三崎から臨む城ケ島の景観も特徴的だが、逆に城ケ島から臨む三崎の風景も印象的だ。
三浦半島の南端、三崎はこの島によって守られているわけだ。
日曜昼さがり。
港では、ダイビングに行っていたクルーザーが帰ってきた。ダイバーたちが笑みを浮かべて、島に到着。穏やかな晴れた一日、きっと、期待以上のダイビングを楽しんできたのだろう。
大型船造船施設、漁業施設や水産会社施設が見える。おお、土曜日も働いているのか!。巨大なまぐろの凍った体を20体ほど施設から突然出てきて、びっくり!。
三崎のまぐろは有名だが、こんなに立派なのか・・・・改めておどろく。
東端には、公園や造船施設、研究施設もあるが、西端に進むにつれ飲食店や土産物店が軒を連ねる。おいしそうだ。
残念ながら、三崎の方で食事を済ませてしまっていたので、素通り。城ケ島で食事したほうが良かったかなあと連れもつぶやいた。正直言って、私もそう思う。
私はお土産も三崎で買ったのだが、実は城ケ島でかったほうが良かったかな?と今思っている。食事もお土産も結構お店が軒を連ねている。。
釣り人も多い。釣りの店も駐車場もあり安心なようだ。
やり残し感たっぷり。また、是非行きたいと思う。
昼食を含めて数時間、釣りやダイビングなどマリンスポーツを楽しむ方なら一日でも二日でも、とても楽しいところだと思う。
金曜日, 7月 02, 2010
奥多摩の日原鍾乳洞
奥多摩の 日原鍾乳洞に行ってきた。
秘境といっていいだろう。
奥多摩駅のすぐ先を右折して、延々登るのだけど、見通しの効かないくらい曲がりくねり、すれ違う幅もないほどの道路を通ることになる。当然、幅員の広い所で待って、相手を通してから通るような運転のマナーを守らないと、ごっつんこでニッチもサッチもいかなくなる。
上のほうにいくと、日曜だったからか、誘導員が待機してくれていて、スムーズに流すようにしていた。確かに、これだけの秘境だというのに、結構な人だ。誘導員がいなければ、大変なことになるだろう。
ようやく日原鍾乳洞に着く。600円。
でも、その価値は十分ある。
結構、衝撃的。
まるでインディ・ジョーンズのよう。
洞穴をおりていく。
冷たい風がひやり。寒いくらいだ。年中11度だそうだ。だから、夏は涼しく感じるが、冬は暖かく感じるという。
最初は狭い洞窟だ。上からまるで船底のような岩が垂れているところもある。深海にいる気分だ。
弘法大師の学問所と言われる処には、深い静けさの奥から、かすかな美しい音が響く。
水琴窟。おそらく水が何か共鳴するものにおちる音なのだろう。高い音だ。風鈴のような、鐘のような・・・・静寂の中に幽かに響き渡る幽玄さ。
確かに哲学をしたくなるような、空間だ。
続いて三途の川と名づけられた空間へ・・・・神秘的だと思いながらそこを抜けると、突然大空間に出る。
これがまた、衝撃的。
縁結びの神も祀られている。
帰り道は、長い長い階段を登ってそしておりた。そこには、石柱や石筍、つららのように伸びる鍾乳石が美しく広がる。鍾乳石は1cm伸びるのに100年かかるという。何万年何億年の地球の造形がここにあるわけだ。
やはり、神秘的だ。
やがて、出口へ。
熱い風に触れ、現実の世界に引き戻されたことを知る。
洞窟をでて、さらに山側に登ると、梵天岩が見える。地球の造形力に感心する。
奥多摩の山の風景は、とても興味深い。起伏がはげしく、様々な風景がある。
また来てみたいと思う。
秘境といっていいだろう。
奥多摩駅のすぐ先を右折して、延々登るのだけど、見通しの効かないくらい曲がりくねり、すれ違う幅もないほどの道路を通ることになる。当然、幅員の広い所で待って、相手を通してから通るような運転のマナーを守らないと、ごっつんこでニッチもサッチもいかなくなる。
上のほうにいくと、日曜だったからか、誘導員が待機してくれていて、スムーズに流すようにしていた。確かに、これだけの秘境だというのに、結構な人だ。誘導員がいなければ、大変なことになるだろう。
ようやく日原鍾乳洞に着く。600円。
でも、その価値は十分ある。
結構、衝撃的。
まるでインディ・ジョーンズのよう。
洞穴をおりていく。
冷たい風がひやり。寒いくらいだ。年中11度だそうだ。だから、夏は涼しく感じるが、冬は暖かく感じるという。
最初は狭い洞窟だ。上からまるで船底のような岩が垂れているところもある。深海にいる気分だ。
弘法大師の学問所と言われる処には、深い静けさの奥から、かすかな美しい音が響く。
水琴窟。おそらく水が何か共鳴するものにおちる音なのだろう。高い音だ。風鈴のような、鐘のような・・・・静寂の中に幽かに響き渡る幽玄さ。
確かに哲学をしたくなるような、空間だ。
続いて三途の川と名づけられた空間へ・・・・神秘的だと思いながらそこを抜けると、突然大空間に出る。
これがまた、衝撃的。
縁結びの神も祀られている。
帰り道は、長い長い階段を登ってそしておりた。そこには、石柱や石筍、つららのように伸びる鍾乳石が美しく広がる。鍾乳石は1cm伸びるのに100年かかるという。何万年何億年の地球の造形がここにあるわけだ。
やはり、神秘的だ。
やがて、出口へ。
熱い風に触れ、現実の世界に引き戻されたことを知る。
洞窟をでて、さらに山側に登ると、梵天岩が見える。地球の造形力に感心する。
奥多摩の山の風景は、とても興味深い。起伏がはげしく、様々な風景がある。
また来てみたいと思う。
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