日曜日, 2月 17, 2008

海で生活する人々 ミャンマーのモーケン

テレビでモーケンという民族の特集があった。

ミャンマーの海の上で生活している民族だ。
美しく恵みの深い海で、素潜りでもりを使って獲物をとり、基本的に自給自足の生活を送っている。
結婚すると自分で船を作る。家族をその船に乗せて、漁をしながら生涯をおくる人生をスタートする。

漁によって得た獲物は自分達の食事とするだけではなく、陸の人たちと交換して、米や燃料を得る。
海で特に陸に高値で売れるものは、ナマコだ。それを燻製にして、陸で売る。ナマコの燻製は中国で食材としての需要があるから貨幣を獲得できる。

2週間かけて家族でとったナマコは陸で売って5000円だ。
お米50kgが3000円、そして燃料他、生活に必要なものを得るともう残らない。
裏を返せば、海の中で自給自足を旨としていたモーケンの生活も貨幣なしではなりたっていないということでもある。

モーケンの漁は、現代的な設備をつかわず、漁師の潜水能力とお手製のモリによっているために、収穫量を拡大できない。だから、貨幣獲得にはおのずと限界がある。体をつかっての生活は、文字通り生きていくのがやっとの生活だ。でも彼らの生活には、自由がある。

その生活が、最近脅かされているという。彼らが活動している海に、底引き網漁船や設備した潜水夫が押し寄せて海の幸を根こそぎとっていっているという。彼らが、モリと素手で収穫していた海の恵みはもうその海には無い。

世界的に水産資源の価値が高まる中、ミャンマーのその輸出高は2倍以上になっている。ミャンマー政府としては、近代的な設備で漁獲高を伸ばし、輸出量を確保することは国益だと考えるだろう。

ミャンマー政府は、モーケンに陸に定住生活を送ることを勧めているという。管理するためだ。

だが、モーケンの人々は祖先から受け継いできた生き方を、天職として受け止めている。そして、その中に自由という言葉もあった。

日本や先進国では、漁業権という確立された権利で抵抗できるのに、彼らにはそのような権利を訴える知恵も手段もない。そして、職業選択の自由という基本的な人権もおびやかされている。

そんな彼らをみるにつけ、補わなければならない不均衡を感じるのは私だけだろうか?