土曜日, 10月 03, 2009

海を守る    鞆の浦 埋め立て中止の判決

海は多くの人にとってとても大事な資源だ。そこには多くの生命が宿り、そしてその資源をもとに、人間の営みがある。

食生活を支えるという意味深さはわかりやすい。そして、そこで長らく続いていた活動ならば、人が作った「歴史」というものが積み重なる。さらに、美しい自然の景観もあるとするならば、訪れてみたいと思う人も多いだろう。

ウィンドサーファーにとっても、もちろんきれいな海が安心だ。

一方、自然は時に猛威をふるい、人間の生活に危害を加える。だから、護岸工事などの対策も大事だろう。そして、人類の発展は、道を作ることにより広域にネットワークを構築し、広く交易したり、サービス提供の利便性をあげてきたことに負うのも事実だ。道路や橋は、人が繁栄するために必要なものである。これも間違いない。

でも、これらの諸資源の活用方法について、時に人々の間に対立関係をもたらす。




広島県の景勝地、鞆の浦

鞆の浦の高台にたつ民家で、4年前世界的なアニメーション監督宮崎駿さんが、「崖の上のポニョ」の構想を練った場所だ。

歴史的な街並みが今も残されている。
年間170万人の人が訪れる景勝地。
江戸時代に朝鮮半島から日本に派遣された朝鮮通信使の様子を描いた絵巻物もあるし、この外交使節団が宿泊した宿も残されている。
瀬戸内海の港町として栄えた面影を今に伝えている。


一方で、古い町並みを縫う道路は狭く、都市基盤整備は遅れている。
そこで、この湾を公共事業で埋め立てて、橋をかける広島県と福山市の計画があった。港の一部を埋め立てて、長さおよそ180mの橋をかけるというもの。

これに対して歴史的な景観を失うということで、住民などおよそ160人が事業の中止を求めていた。


この計画に対して、広島地方裁判所は、この景観は文化的歴史的価値がある国民財産だとして、広島県に埋め立ての中止を求めた。

景観の保護を理由に公共事業の中止を求めた裁判は全国で初めて。
判決の内容は
鞆の浦の景観は文化的歴史的な価値がある国民の財産だ。
工事が景観に及ぼす影響には軽視できない重大なものがある。
事業の調査や検討も不十分で必要性は認められない。
広島県に中止を求めた。
というもの。

受け止め方は各社それぞれ
  • 原告側の住民は、時代の流れを感じたという発言。
  • 宮崎監督は、今後の日本をどういうふうにしたかという時に居一歩をふみだした。
  • 計画推進派の住民は、生活実態が入っていないのではないか?との疑問を呈す。
  • 広島県知事は、詳細に検討して対応したいと発言。
  • 専門家は次のように説明する。景観を大事にしながら、地域の発展を考えて、将来にむけてきちんと発展をつけて行く仕組みが必ずしも十分検討されていないと、代替案の検討が十分ではないと裁判所はそう言っていると思う。景観を重要な環境要素として位置づけていこうというの進んできている。

開発に際して、景観や歴史に対する評価が加えられていなかったのならば、あきらかに開発者側の瑕疵だと思う。
他方で、ネットワークの利便性をあげるよう道路を構築するのはもちろん地域繁栄にとって必要不可欠なことだ。その機会を奪うことが、最善の策とも思えない。

判決に「事業の調査や検討も不十分」という文言がある以上、適切な評価が加えられていないのが、中止判決の主な理由だとしたらその点は十分に検討すべきだろう。
知恵を使って環境への配慮も加味しながら、開発案を練ることが大事だ。

また、原告側も、人類繁栄のためには、都市整備が重要であるという意識を十分に持って臨んでほしいと期待する。

ちなみに、ウィンドサーファーの立場としては、海はきれいで、景観も美しいほうがいい。また、風が無い日は、陸の上で歴史的街を散策できるならそれもいい。
一方で、車で道具を運べないのは困る。渋滞もよくないし、渋滞が多ければ、排気ガスを排出し、別の意味の環境汚染も起こってしまう。
道路や橋は、必要だ。

景観とのマッチングを行うため、英知を集め、それを活用する試みは是非やってほしい。

また、景観は主観的な問題もあるが、公共上の意味をよく意識してほしいと思う。
歴史的な建築物の並ぶパリの中心地に、ポンピドーセンターという現代建築が立った時も、都市景観上賛否両論が巻き起こった。古い建築物の並ぶ調和ある景観の中に美的価値を論ずるのはたやすいのだが、一方でそればかりにこだわると、現在の建築技術や芸術の表現機会を奪うことにもなる。

人類が進歩し続ける以上、その時代に築いた技術資産があり、それが町の中に残っていくのはこれは歴史的必然であって、権利でもあると思う。昔のものだけが景観的価値があるわけではない。昔のものの存在によって、現在の技術が表現の機会を失うとするならば、やはりバランスを欠いているというそしりを免れないと思う。