日曜日, 12月 26, 2010

湘南 材木座 ウィンドサーフィン デビュー

初めての材木座。

広くていい!ずっと砂浜だ。

東側の端の駐車場に止める。
結構吹いている。岸辺は波のしぶきで泡立っている。

浜辺に出てみると、ボードは70-80l、セールは3.3-4.2という人多い。

持っているのは104l、5,0。ちょっと大きすぎる。でも、材木座を体験してみるのもいいと思い海に出ることにした。

南系の風だと、なにか不具合があっても、いずれ岸辺に打ち上げられるという安心感がある。


駐車場から、少し海岸線に沿って西側に歩くと砂浜レベルに降りる階段があるので、そこを降りて左折して、道路の下をくぐって浜に出る。

波打ち際から50mくらいは海面が白く泡立っている。波のサイクルが短いようだ。

出てみると、波打ち際のサイクルの早い崩れる波をボードのサイドから受けて、バランスを崩してそのままチン。そして波にもみくちゃになってしまう。そう大きくはないのだが、波の持つパワーはそれなりにある。そしてサイクルの早い波が次々に押し寄せてくる。

しばらく、チンして波にもみくちゃ という状態を繰り返したが、やがて、ボードのノーズに波があたらないように走ると、サイドからの波が崩れる複雑な力の影響を軽減できることを発見。つまり少しノーズを上げて崩れる波をよけるようにする。

そのことを発見してからは、結構長く乗れて楽しい。一つの波を超えると、一つの平原(=走りやすいフラットな海面)がまっている。そこをすべるように走るとまた次の試練(波)がくる。そこをどう乗り越えるか、快感と緊張の連続だ。


104Lボード、50㎡セールでもなんとか乗れるほどのコンディション。でも、相当筋肉を使っているのは間違いない。ド・オーバーだ。

それまで、浜を広く意識してプレイして、由比ヶ浜近くまでいってみた。弓の形状をした浜辺に対して、風はいよいよオンショアとなり、よりサイドからの波の影響を受けやすい状態だった。いい練習になったと思う、

日ごろは由比ヶ浜のあたりはサーファーが多いらしい。
今日は少なかった。


帰ろうかな?と思って、西の端に戻ると、多くのウィンドサーファーが西の端にいる。
いってみると、そこからは、今日の風向きではアウトに一気に出れるポイントだとわかる。

出てみると、結構調子いい。波打ち際の崩れる波のような影響がすくなく、うねる海面は比較的予想しやすいので、波をアップダウンする感じで楽しめる。
が、そこに突如として自分の背以上の大きなうねりが迫ってくる。上部がすでに崩れている。うっ!と思いながらも、なすすべもしらず、波から逃げるように岸辺に進行をとったが、波の方が早くて、背後からどっさりと降ってきた波に巻き込まれてチン。


すでに疲れていてウォータースタートもたついている間に、短いサイクルで波が上からドサドサ降ってくる・・・。
そのうちに岸近くにうちあげられ、背の立つところであらためてセールを波の上に浮かせてビーチスタート。


50セールは、やっぱオーバー。頭の上でセイルがバタバタと始終ビビり音。波とのタイミングで風抜きに失敗するとブッ飛ばされ、疲れました。


疲れた。


今日のような南西系の風だと、材木座の東端からでるのはアウトへ手っ取り早くでれていいようだ。だが、一方でこの区域は、漁船があり、岩や絶壁もあるので、注意すべきポイントでもあるという。今日は干潮だったことと漁船がていしていたこと、そして風向きがよかったのだろう。
由比ヶ浜の奥のほうからという手もあるらしい。だが、サーファーがいるので注意。

由比ヶ浜に近くなる方がサーファーが多いという話を聞いた。今日はサーファーが少なかったのだが、ひやりとした場面があった。特に岸に近いところで白く泡立ったいる部分は、チンしたサーファーがその陰に隠れて見えにくい。よく注意しておかないといけない。


今年は、湘南で修業しようかな。

土曜日, 12月 11, 2010

師走の逗子海岸でのウィンドサーフィン

今日は南風の予報。
先々週の逗子海岸と同じように楽しければいいなと期待して逗子へ。

朝日が昇る瞬間がいい、とアドバイスしてもらっていたので、7時半にはついて、8時過ぎには海に浮かんでいた。

ちょうど風があがってきた。まだ、海には1-2人しかいない。
送信者 Windsurfing.Network ウィンドサーフィン.ネットワーク
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海に出てみると、50で走る走る。ときどきオーバー気味だが、調子いい。

南風が暖気を運んできているので、師走にしては寒くない。


そして、逗子湾を西側から東側に走る時、「朝日が昇る時がきれいだ」とアドバイスしてくれたshimちゃんの言っていることがわかった。

逗子湾を西から東に走ると、朝日に向かって走ることになる。

低い角度からの朝の陽光が海面に反射して、広い海域が金色に輝くのだ。!

まぶしい!!!。なんとエネルギッシュなのだ!!!。太陽の光と、広く広がる金色の海面!!。

先々週は、波も大きかったので、そのしぶきが光の乱舞となってさらに美しかったことだろう。


夕日でも同じ効果は期待できそうなものだが、夕暮れ時の空気は日中の地表面からの上昇気流を過ごしているため透明感がさえず、朝日とは強烈さが違う。


今日は、朝はあまり波がなく、そのためサーファーもいなかったので、広い海域を我が物のように走り快適だった。風もとても安定していた。波しぶきの光の効果がみれなかったのは残念だが、それでも、金色に輝く海と元気いっぱいの空と太陽をおがめた。

10時くらいにいったん風がおちたが、まだ、湾の西側は50でも走る。ちょっと、うねりも大きくなってきた。また、多くのウィンドサーファーが来てかなり混んできた。

11時には撤収。今日は午後から風が入る予想だが、もう十分に走った。へろへろだ。
送信者 Windsurfing.Network ウィンドサーフィン.ネットワーク
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楽しかった。
この冬、また南風に恵まれたらいいな。


夕方、海の公園によってみた。午後はすさまじく吹いた模様。42オーバー。
ガスティだったようだ。



今日の9:00と15:00の天気図を見てみると、以下の通り。
送信者 Windsurfing.Network ウィンドサーフィン.ネットワーク


送信者 Windsurfing.Network ウィンドサーフィン.ネットワーク

東高西低なのだが、南側の高気圧が朝方は影響していた模様。その後南の高気圧は消えた。今日の風は朝は、南南西から昼名に南になり、夕方南西になった模様。西側の低気圧の移動とそれに伴う南側高気圧の消滅などの影響によると考えられるだろう。

日曜日, 12月 05, 2010

忘年会の季節・・・

師走。

忘年会の季節になった。


土曜の夜は、高校の同窓会の準備会に出席。

再来年は私たちが全体の同窓会をしきる幹事学年となる。来年、再来年の幹事、そして今年すでに幹事として同窓会をしきった年代の3世代にわたって交流を持ち、全体の同窓会を仕切る作法を継承するという目的の会だ。

先輩から、苦労談や工夫を教えられて、葉っぱをかけられた。
そろそろスタートしなければ間に合わないらしい。

日比谷BAR目黒店 での会合だったが、結構おしゃれでいい感じ。料理もおいしかった。




同窓会の準備という使命もあったが、後輩の菊野克紀君が総合格闘技 DEEPライト級タイトルマッチで防衛を果たすという快挙をあげたので、その祝賀会も兼ねていた。


会には、辛島美登里さんも来られていた。

案内されるままに着席したら、菊野克紀君と辛島美登里さんの真ん前の席。
社会の中で、成功をおさめ、快進撃を続ける人たちと会話ができて、とても刺激になった。


菊野克紀君は、柔道で格闘技に目覚め、極真空手、そして総合格闘技の世界に足を踏み入れていったという。DEEPライト級タイトルマッチの防衛を果たし、今後は、DREAMへの挑戦、そして世界へと広がる夢を語ってくれた。
総合格闘技を社会に理解してもらうために、様々な会にも出席してアピールする活動もしているという。

ビデオでタイトルマッチを見せてもらったが、相手も強豪だ。白熱した試合。素晴らしい内容の試合だった。


もちろん、技を磨く日々の努力も大変なものだろうが、自分たちの世界を社会にアピールしていく努力を積極的に行っていくバイタリティがある。業界を育てようとするリーダーシップがある。まさに父性だ。心の強さゆえにできることだろう。




辛島美登里
さんとも会話した。
幼少のころから、なにかの行事の時、あるいは試験が終わった時なども、曲を作ることが楽しみだったという。曲を作るのがとても自然な活動だったようだ。ある時に人の勧めもあり、歌うようにもなったが、曲作りの方が好きだそうだ。日々の活動の中で、様々な疑問を持ったり、その解決のための努力をしたりしている様子を語ってくれたのだが、実に自然に自己研鑽ができていることがうかがえる。そして、一緒に仕事をしていく人たちへの心遣いもなさっていた。深い暖かさと思いやりを持っている。母性を感じた。





天賦の才と、たゆみない改善の努力と、人により開かれる道。
開かれる世界に対して、心の自由と強さと暖かさをもって、挑戦し続けるところが共通した魅力だと思う。
二人の大きな才能(巨人)と会話して、そんなことを感じた。



実はこの日は、海の公園のショップの忘年会もあったのだが、同窓会の準備会とも重なってしまい、出席できなかった。
だいぶ遅くなったが、横浜で行われていた2次会が終わるころに、到着。何人かの方とウィンドサーフィンの会話。

御前崎によくいかれる方の話を聞いていると、とても魅力的だ。そうだ、この人たちも、険しき道の中に、世界を築いている巨人たちだ。
私には御前崎プレイはまだ敷居が高い。先日逗子海岸が楽しかったので、今年は湘南中心かな?湘南についても、材木座の話も聞けた。その西側に部分的に波の高いところがあるという。



本当にもりらくさんの土曜の夜だった。

日曜日, 11月 28, 2010

霜月の逗子海岸

南西の風。

11月も終わろうとしているのに、まるで、春一番のように温かい風が吹いた。

逗子海岸へ。出だしがおくれて、10時半到着。

良く晴れている。晩秋の太陽の光は、だいぶ弱いけれども、暖かなぬくもりを肌に伝える。

海面は多くのウィンドサーファーで賑わっている。

青い海に、白いしぶきがところどころに沸き立ち、ウィンドサーフィンのセイルが色とりどりに翻っている。


到着して浜辺にでて、既にでてプレイしているウィンドサーファーにどのような感じか訪ねてみる。

朝から吹いているという。セイルは4点台。今少し落ちて47ちょっとアンダーかな?という返事。

50で出よう。セッティングして海へ。

逗子海岸で南西の風はオンショア。波打ち際は結構波がブレイクしている。だから、海岸の中央付近は非常に出廷しにくい。

海岸の端部から、ゲッティングアウト。50で調子いい。4点台から5点台くらいのコンディションだ。

2時間ほどプレイ。


早朝から出ていたウィンドサーファーの話では、陽が昇る時、うねりと波のしぶきが金色に輝き、とても美しかったそうだ。

以前、逗子海岸の夕暮れの美しさに感激したことがあるが、朝日が昇る時にもぜひ来てみたいと思う。



火曜日, 11月 23, 2010

海の公園の秋

久しぶりに週末吹いた。


海の公園で10時すぎから。

63で出陣。

ちょっとアンダー気味だが、結構楽しく快走できた。

今日は午後予定があり、ほんの一時間半くらいしか走れなかった。おまけに、撤収した後腫れあがってきたので、海を後にするのがつらかった。

それでも久しぶりに走れたので楽しかった。

水曜日, 11月 17, 2010

薩摩温泉記

薩摩へ。


平日の昼下がり、銭湯によってみる。温泉だ。

鹿児島の銭湯はすべて温泉。入ると、お肌がつやつやするとか、リラックスするとか様々な効用を感じる。


平日の昼下がりに銭湯に入るなどとは、ちょっと働いている方に申し訳ないという気もする。でも、日ごろ頑張っている自分へのご褒美と思えば、至極の贅沢だと楽しんでもいいだろう。そう思って自分を諌める。


窓から、少し傾いた日の陽光が差し入れている。窓のガラスはすりガラスで、木漏れ日の陽光を受け止めて輝くのだが、ゆらゆらと揺れる葉影をシルエットに映し出している。木漏れ日はそのすりガラスを介して浴場内に差し込み、ふわふわとした湯気に日光の陽と葉影の陰の文様を刻みいれている。不思議な文様を映し出した光のカーテンが幻想的にたなびいている。

温泉に陽光が届いている。

その差し入れる陽光の中に入って、光の浸入する窓ガラスを見る。

まぶしい!。

輝くすりガラスの窓に、木漏れ日の葉影がざわざわとうごめいている。

そのまばゆい光は湯気にたゆたいながら、そして金色に輝いている。

葉影はさらに深い文様となって湯気の表層を流れていく。

温泉の香りが漂っている。

はじける気泡が、空気を変えている。

様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。

そして多くの音を感じる。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。


湧き出でる温泉なのか、ジェット気流なのか、気泡のマッサージと、はじける気泡の音やしぶきに再び気づく。

体の中の血が、温められて、きっと温泉のミネラルを肌からあるいは呼吸から存分に吸収して、体の隅々までわたるようだ。



温泉の香りが肺の奥を通して、心の深くまで浸透していく。

顔の近くではじける気泡が、なんだかやさしい。頬ずりしているようだ。

様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。

温められた血が、温泉の成分を体中に運ぶ。

そして、光のカーテンが記憶を包む。


どこかでみたような・・・・デジャヴュ。

時は流れどこにももどれないはずなのに。 


記憶だけが逆流する一時。

温められた血のせいだろうか?


これが、多くの人をとらえてやまない温泉の魅力なのだろうか。

木曜日, 10月 28, 2010

ジャイブへの道 ビデオ YouTube - Jibe Lesson with Yoli de Brendt V26

みやすい速度のジャイブのビデオ。

キーを絞ってアドバイスをしてくれている。みているだけでも参考になるだろう。

また、失敗パターンも披露してくれている。

YouTube - Jibe Lesson with Yoli de Brendt V26

ジャイブへの道  ビデオを発見YouTube - how to jibe a windsurf :)

3人がそれぞれのジャイブを披露。

入門編から上級編という感じ。

ビデオもスローモーションだけでなく、巻き戻しやセイルトップからサーファーの鳥瞰ビデオもあり、わかりやすい。


この冬こそ、ジャイブ上達しよう!。

といいながら、今日の関東地方の寒さにいきなり怖気づいている・・・・。

月曜日, 10月 25, 2010

チリの落盤事故

遠い遠い国で、そして地下の中に閉じ込められた人たちの救出。南米チリの鉱山事故。地下700mに閉じ込められた33名の作業員たち。救出までの70日をどう生き抜いたのか、それを報じたテレビ番組をみた。

不幸中の幸い。救出されたことはとても素晴らしい。


思うに、今日は人のみ明日は我が身。教訓を学び取ることが大事だ。

テレビで報じていた内容を記録しておこう。

個人的に感じたポイントを、まず最初に列記してみる。


  1. 危機における対応1・・・状況の把握、さらなる危機の予測、当面の安全を実行する。
  2. 孤立した集団の試み・・・外部にその危機の状況を知らせる。
  3. 孤立した集団のルールづけ・・・集団が長く生きながらえるよう、食料の配給制度の確立と消耗の回避
  4. 生きることへのモチベーション・・・家族への思いと家族の働きかけ、
  5. 孤立した集団の心理・・・最初は絶望。諦観。当初は、一致団結していたが、一方、救助物資が届くころから「欲」がでて、いさかいも発生。救助をまつまでの時間、いさかいの心を制するのに宗教(神)がいさめる。
  6. 孤立した集団の戒律・・・生きる見通しがついた後、仕事のための8時間、余暇の8時間。そして宗教的な儀式を日に二回。
  7. 救出する側の試み・調査・・既存資料(地図)の分析から手段を選択。複数の試みを同時に進行し、人命の危機の全様を一刻も早く把握する。
  8. 救出する側の試み・技術・・自分の手の内にとらわれないこと。有効な手段は国境を越えて実行する。
  9. 救出する側の試み・体制・・二重遭難の危機などの回避。トラブル対応、トラブルを予測しての対応。チームワークの形成。
  10. 救出される側の参加・・救出する活動に、される側の活動を参加させる。感情を考慮しながら、緻密なよみが必要。


以下番組の概要。


8月5日地下400mで突然の落盤事故が起こった。事故が起きたのはサンホセ鉱山 金や銅を生産する鉱山。200年前から掘削が始まったこの鉱山では鉱道が網の目のように走っている。

銅の産出量で世界一を誇るチリでも、有数の鉱山の街。人々の多くが鉱山に関れする職についている。
事故が起きたサンホセ鉱山360人が働いていた。
200年近く彫り続けているため、鉱道の長さは800m。


地下700mで、採掘作業をしていた33人の作業員の生死がわからなくなった。


70日後にようやく救出されるのだが、被災した方々は、深い絶望感を体験した。無事に帰れるとはだれも思わず、口数が減り死を意識するようになる。再び落盤するかもしれない恐怖。それは救出された後も心の痛みとして残る。

心の支えになっていたのは、家族からの写真や手紙。


地下の室温は30度を超えて、湿度は90%に達する。劣悪な環境に体調を崩す作業員も少なくなかった。とても暑苦しくて、酸素が少なく、動けば動くほど体力が奪われる。
閉ざされた空間での暮らしが長引くにつれ、いさかいもうまれた。
トラブルが増えたのはいろんな物質が届くようになってから、欲がうまれたからだ。

全員心をあわせて、神に祈り、不安な心を鎮めようとした。
「早くここから出られますように家族に会えますように」
神に祈ることで「生きたい生きたい」という思いが強まり、生き残れると思うようになったのだ。

奇跡の生還。生還した方の言葉、「自分が大切だと思うことをすぐに実行に移すべきだと学んだ。人生は何がおこるかわからない。娘や孫のために生きたい。」が印象深い



事故後、暗闇の中をさまよい、すこしずつ仲間が集まってきたという。ほこりが落ち着いてから坑道を登って落盤した場所へ行った。完全にふさがれていた。

石油をしみ込ませた布やタイヤをもやして煙を出したり、爆薬を使って音をたてたりもした。でも、無駄だった。どうしていいのかわからなくなりシーンとして誰もは増さなくなった。これからどうなるのか
助かる方法が見つからなかった。涙ぐみながら語る。


落盤は目がブロックという数十万トンがずりおちておこったと

33人はそれより深いところで働いていた。


爆薬を使って音をたてた。どうしていいのかわからなくて、シーン。
助かるのか?

地下700m。

先の見えない戦い。

食料の備蓄はわずか1日
ツナ缶14缶。サケの缶詰1個と豆の缶詰2個。それにビスケット。
配給となった。スプーン2杯のツナを1日1食。あがて2日ごと。二日スプーンに2杯。最後は3日に1食。水を飲んで空腹に耐える。しかし、飲料水はすぐに底をつくので、作業用の水を飲む。さびや水がまざっている。でも汗をかいていたので脱水を防ぐために飲むしかなかった。

温度30度、90%。過酷な環境の中で作業員は衰弱していく。骨が外に飛び出ているような状況。

5日後、地上からのドリルの音が聞こえる。が、何日たってもとどかず、なるようになれという気分。図面が悪くてそれているんだなと思う。泣く力も残っていない。
生きる気力を失いつつある作業員たち。考えていた家族のことだけだった。自分を待つ人のことを考えるとつらかったという。

地上に救いを求めることもできず、食料もない極限の生活が17日間続いた。

2010年8月22日、ドリルの先が顔を見せる。大きな喜びだった。
ドリルの先にメッセージをとりつけた

Estamos bien en el refugio los 33

「33名は避難所で元気だ」(←拙訳ですが・・)


救出組も歓声。地下と地上が細い穴でつながった。

肺炎を発症するものもあり、全員が10kg近く体重が落ちていた。奇跡的ともいえるぎりぎりのタイミング。

絶望から希望。地下の生活も変わり始めた。
直径10cmのつつを使って、食料や医薬品、生活用品も送られた。伝書鳩にちなんでパローマ(伝書鳩)と呼ばれた。地下での生活をとらえたいという人にカメラが送られた。

作業員が寝泊まりする避難所の周辺の映像。地上から送られたベッドの上に、組み立て式のベッド。ほとんどの作業員は上半身が裸で、暑さをしのぐ。

物資支給が始まり、暖かい食品も送られるようになった。

地下には3つの居住空間があり、3つにわかれて生活していた。レフヒオ(避難所)にランパ(緩やかな傾斜になっている鉱道、地上からの物資を受け取る。)、105という場所。
3つのグループに分かれ、それぞれのリーダーのもとで規則正しい生活。

一日のうち、およそ8時間は仕事の時間。危険な岩や、居住空間の清掃などそれぞれに割り当てられた仕事を行った。仕事の後の8時間は、自由時間。地上から届けられたプロジェクタを使ってサッカーを観戦。

事故から一カ月、生活が改善する一方で作業員同士のトラブルが増える。

原因の一つは、家族とのテレビ電話をめぐるもの。多くの人が使えるように、制限時間があった。話す人も順番を待つ人も不満を募らせた。いざこざの理由はテレビのチャンネル争い、家族と長く話したいとかそんなことだ。最初の頃はそんなことはなかった結束していた。トラブルが増えたのは、いろいろな物資が届くようになってからだ。人々の心に欲が生まれた。


政府の方針によって確実な見通しがたつまで、救出の時期は伝えられていなかった。
そんな時、33人の結束を呼びかけたのは、信仰心のあつい年長者。
毎日2回の祈りの時間を設けた。
作業員たちは、互いを思いやる気持ちを取り戻していったという。

お助け下さい。励ましてください。
落ち込んでいる者たちをよからぬ考えを抱いている者たちを。
われわれはこれまで仲間たちと争ったこともありました。
しかしいざという時には団結してきたはずです。
悪い心はここにおいていきましょう。
毎日顔を合わせて
われわれはしかしいざという時には団結してきたのです。
作業員たちは互いを思いやる気持ちを取り戻していったという。





毎日2回のお祈りが結束を固めた。毎日顔を合わせて結束した。皆がリーダーだった。みんなで一緒にやった。

会社への不満を語るものもある。もっとしっかりやらなければいけないはずなのに、補強についてはいつも会社ともももていた。会社のせいで補強を担当するエンジニアは何もしないままに会社を辞めていった。



事故発生から2ヶ月あまり。救出用カプセルが通る穴が貫通する。

事故がおきて70日。33人の結束と家族の支え。


33人が心をひとつにできた理由は、待ち続ける家族の存在とその家族からの様々な支えがあったからにつきる。家族の支えなしには、地下での苦しい日々を乗り切ることはできなかったと話して
これからの残りの人生を、家族とともに生きていこうという人生観にも結び付く作業員達に生まれたようだ。これに加えて、家族たちの支援抜きには今回の救出を語ることはできない。手紙や思い出の写真等を使って、作業員を元気づけるのに思いつく限りのメッセージを地下に送り続けた。劣悪な地下の生活を少しでも改善したいと地下との間で洗濯物をやりとりする家族の姿もあった。


生きて地上に帰るという意思と家族の支えそれなしにはなかったらだろう。

33人をすくった救出用カプセル、「フェニックス」

作戦の実行のためには、まっすぐな穴を掘る必要がある。
地下700mになると、穴をほると極めて難しくなる。


今回の事故ではおもさ数十万トンの岩石の崩落。地下への道は完全にふさがれた。落盤の危険があるため、爆弾で通路をあけることもできない。新たに穴をほるしかない。

直径10cmの穴で作業員の生存を確認した。

地図にもない網の目のような古い鉱道が行く手を阻む。

鉱道にあたると、周囲の岩盤の支えがないため、進む方向がぶれて穴がまがる。一度でもぶれると地下では大きなずれとなる。まっすぐに穴をほるのは極めて困難。

並行してほった穴は13本。事故発生から17日。その1本から作業員が確認された。

生存が確認された後に、続いて33人をどうやって救うか?

救出用カプセルが通れるように、直径70cmまで地下への穴を広げる必要がある。

固い岩盤が邪魔をする。鉄よりも固い岩盤が幾層も重なっている。細い穴を通してもそれを広げるには、高度な掘削技術が必要。チリ政府は、世界各国に打診。

アメリカの掘削機械の部品メーカーが応じる。先のとがったドリルを回転させるのではなく、複数のハンマー繰り返し岩をたたき、固い岩盤でも確実に彫り進めることができる仕組み。彫り進める旋回するのではなく、固い岩盤でも確実に掘り下げる。

思わぬところで事故。地下280mで部品が破損。あるいは、部品の一部が落下するという事故もあった。地下のほうは絶望的な気持ちにもなる。


救出チームは繰り返し部品を交換しながら24時間体制で掘削を続けた。

地下の作業員たちの指揮を高めるために、掘削作業に参加させた。
削った岩石を除去する作業にあたらせた。自ら救出作戦の重要な役割を担ったことで、前向きな気持ちになってくれたと思う。

掘削から35日。フェニックスが通れる穴が貫通。


日曜日, 10月 24, 2010

金魚を買うことにしました。

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右の欄に泳いでいます。







マウスを近づけると、餌をもらえると思って金魚が寄ってきます。






クリックすると餌をまけます。






金魚が喜びます。







ときどき面倒見てやってください。

日曜日, 10月 17, 2010

城ケ島旅情

三浦半島の最南端。城ケ島

関西で赴任してこられた方が、職務でストレスを感じていらっしゃるらしい。三浦巡りでもしてみましょうか?ということになった。自然が豊かで、晴れればそれなりに爽快感ありますよ・・・・。


ちょっとしたおもてなしのために企画したドライブとはいえ、城ケ島は自分としても初めての地。


期待感もある。ネットで調べると、自然の魅力とともに、北原白秋の「城ケ島の雨」の話題が・・・。

以下引用


『城ヶ島の雨』は、白秋が三崎滞在中の1913年に演出家島村抱月の依頼で作られた。島村は自身の主宰する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために白秋に作詞を依頼、作詞後すぐに梁田貞によって曲が付けられ、1913年10月30日、東京有楽座にて梁田自身の独唱(ピアノ:松平信博)で発表された。附曲された白秋の詩としては第一号である。城ヶ島や三崎の風情を詠っており、奥田良三が吹き込んだレコードが全国的にヒットすると、城ヶ島はロマンの島として全国に知られることとなり、憧れを抱いた若い男女が大勢来訪した。附曲した作曲家としては梁田の他に山田耕作(1923年)、橋本國彦(1928年)がいる。また、1950年と1959年には同名の映画も作られた。



『城ヶ島の雨』 [編集]
雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ


情緒豊かな詩だ。海に降る雨の風景に、利休鼠という色を与えて、苦難や憂慮を暗示している。
そのあと、雨を「真珠、霧、私の忍び泣き」といくつかの形で表現し、陽と陰、明と暗、強と弱、具象性と抽象性、憧れと寂しさ、富と淡さを対比する中に真実を問いもとめている。海に船出する船頭の心意気=勇気に、確かな答えを感じながら・・。
雨に煙る一風景だ。

いい詩だ。

この詩から、ロマンの島と憧れを抱いた若い男女が、多く訪れたという話も印象深い・・・・。



車で訪れてみると、島の北側に町が開けている。つまり、三浦半島側。

そうか、外洋にさらされている南側は、台風などの時の自然の猛威に直接さらされるので、より安全な北側に町はひらけたのだろう。三崎から臨む城ケ島の景観も特徴的だが、逆に城ケ島から臨む三崎の風景も印象的だ。

三浦半島の南端、三崎はこの島によって守られているわけだ。



日曜昼さがり。

港では、ダイビングに行っていたクルーザーが帰ってきた。ダイバーたちが笑みを浮かべて、島に到着。穏やかな晴れた一日、きっと、期待以上のダイビングを楽しんできたのだろう。

大型船造船施設、漁業施設や水産会社施設が見える。おお、土曜日も働いているのか!。巨大なまぐろの凍った体を20体ほど施設から突然出てきて、びっくり!。

三崎のまぐろは有名だが、こんなに立派なのか・・・・改めておどろく。


東端には、公園や造船施設、研究施設もあるが、西端に進むにつれ飲食店や土産物店が軒を連ねる。おいしそうだ。
残念ながら、三崎の方で食事を済ませてしまっていたので、素通り。城ケ島で食事したほうが良かったかなあと連れもつぶやいた。正直言って、私もそう思う。

私はお土産も三崎で買ったのだが、実は城ケ島でかったほうが良かったかな?と今思っている。食事もお土産も結構お店が軒を連ねている。。

釣り人も多い。釣りの店も駐車場もあり安心なようだ。

やり残し感たっぷり。また、是非行きたいと思う。


昼食を含めて数時間、釣りやダイビングなどマリンスポーツを楽しむ方なら一日でも二日でも、とても楽しいところだと思う。



土曜日, 10月 09, 2010

天気予報リンク集更新のお知らせ  tenki.jpを追加しました。

天気予報は、予報機関によって結構ばらつく時があります。

せっかく遠出したのに、風がなかった・・・・なんて悲劇にならないように、当ブログでは、各種天気情報へのリンク集を掲載しています。

この度、tenki.jpの予報を加えました。



なお、WindguruやWindfinderは風の風速をknotsで掲載しています。日本ではm/秒(m/sと同じ)が一般的だと思います。
その差はこちらをご覧ください。
およそ、knots表示の半分くらいの数字がm/sと覚えてもよいでしょう。

金曜日, 10月 08, 2010

ウィンドサーフィン2011年モデル 海の公園 試乗会レポート2

今一番ほしいのは、海公、本栖湖、三浦、湘南で乗れるボード。

そんな相談をしたら、フリスタウェイブを勧められた。

試乗会でもいくつか試してみる。


starboard kode    
starboard atom
JP australia freestylewave
Naish koncept

うーん。
どれもいい。


STARBOAORDのatomは、浮力が小さい代わりに幅を広くしている。そのため、ぶれが小さい。足もとも結構軽く、印象はいい。
kodeもいい。atomに比べると若干浮力が大きいが、幅が小さい。乗り心地感は微風の中ではそう大きな違いは感じなかった。波に対する感度はよさそうだ。


どちらも楽にテイルジャイブ。さすが幅広だ。




相談してみると、どちらも、湘南、三浦、本栖湖、海公という中では、どちらもOK。まさに、私の目的に合致したボード。




JP australia freestylewave もいいのだが、若干のりづらい。
理由は、102lで幅が62cmしかない。Starboard103lで幅は64.5cmもある。だから、乗り心地感がかなり違う。前者は波に対する感度がよく、一方後者は安定的だ。市場はできなかったのだが、ワンサイズ下をみると面白い。前者が93l長さ234幅60.5で後者が94l長さ237幅60.5。ほとんど差がない。
つまり、KODEは90l代と100l台でボードに大きな差をつけている。

naishのkoncept100lも結構良かった。同社のfreestyleと同じ形状らしいが、ウッドで作ってあり、freestyleより仕様はおち、若干重いらしい。100lは楽しかったが、freestyleの90lは微風の中では苦行だった。このへん、別の投稿で触れているquadフィンの勝利。安定感がまるで違う。

naishもJPも大きくデザインを変えた。どちらも直線状の幾何学的文様から、オーガニックな有機的曲線を取り入れている。
今年はnaishのデザインを気に行った。

starboardはデザイン的にはこれまえ卓越してきたと思うのだが、ここにきて、ライバルもその路線に踏み入れているようで、今後も楽しみだ。





火曜日, 10月 05, 2010

ウィンドサーフィン2011年モデル 海の公園 試乗会レポート quad

とても安定している。そして、驚くほど風上にのぼる。

試したのは、

starboard quad 82l
RRD quad 92l

だが、どちらも同じような印象。微風だったので82lのほうが沈む感じは強かったのだが、シングルフィンよりはるかに楽にジャイブができるのは、ボードの安定感のせいだろう。

スタッフの話では、四本フィンで、水面をがっちりつかむので、滑りなどがないという。特にWAVEでは重宝するらしい。

確かに、私のSTYPEですら、プレーニング中に結構フィンが抜けて横滑りすることが多いので、なんとなく理解できる。

結構気になる商品でした。

あわせて試してみたのだがfanatic、naishのシングルフィン90l台を試したが、あきらかに不安定。もっとも微風であったためでもあろう。




そのほか、スターボードのisonicやfuturaを試してみて、デカセイルを乗せながらも安定感のある乗り心地に感心。でも、やっぱ、デカセイルって重いなあとちょっと二の足を踏む。夏の本栖湖で快走するのも魅力なのだが・・・



セイルでは、SEVERNのSWATに感動。軽い!。xplyというネット状のセイルのためのようだ。この素材は軽くて強くまた弾力がある。そのため、風がたまりやすい。弾性の少ない普通のフィルムのほうが風をよく流すので走りには良いという。また、ダクロンをマスト際に使用すると風がその部分にたまる。あるいは、セイルトップとボトムだけにxplyのような強い材料を使っているセイルも多い。このような工夫を組み合わせて、それぞれ個性のあるセイルができるという。

ま、そういえば、私の63のイジーセイルも、全面xply。軽さが気に入って購入したものだ。

現在の50コンバットがダメになったら、swatを検討してみたい。

土曜日, 9月 25, 2010

台風去りし海の公園

日本の南の沖を過ぎていく台風の影響で昨日から激しい風雨。

昨日は送別会。韓国料理のサムゲタンの店。ついつい飲み過ぎてしまった。店の芋焼酎を水割りで結構飲んだせいかな?朝から頭ががんがんする。

外は時折すごい突風が吹き荒れている。窓開けてたせいか、冷風が部屋に入りこんで寒い!!!。風邪もひいたかな?。あたまががんがんする。

こんな日は、ガスティなだけでどうせつまらないだろうと、ベッドの中の自分をたしなめる。

9時半ころ起きて、とりあえず、シジミ汁とそば。

まだ頭ががんがんする・・。雨もふっているしなあ・・・・・とベッドの中でうだうだ。


少し晴れ間がのぞいてきた昼ころ、海の公園へ。


馴染みのメンバーが朝からがんばっていたようだ。
10時ころは結構吹いたよ!と明るい顔。でも、そのあとは止むのも早かったらしい。

もう風もおわりかな?と思ってだべっていると・・・あれ!海上で、走っているじゃないか!。また風があがってきているようだ。

天気も快晴だ!。

よしでよう。

早速セッティングして63セイル、104Lのボード。ちょっとアンダーだ。でも、ブローをとらえると軽いプレーニングをする。マストをしっかり立てて、風を最大限生かす体制で。

ま、そこそこ楽しめた。

台風が去り、涼しく、また、空気の透明感が増して、とても気持ちのいい日だった。

さわやかな海の公園の昼下がり。

秋の海の公園の良さが、とてもよくでた一日でした。

日曜日, 9月 12, 2010

初秋の海の公園 BBQ

どの天気予報も今日は期待できないと報じている・・・・そんな朝を迎えた。


今日は、海の公園のウィンドサーフィンショップ主催のBBQパーティに参加するつもりだったので、海の公園が吹けばbbqの傍らでウィンドサーフィンやりたいとも思っていたのだけど、その予報のせいで道具は出さずじまい。

行ってみると北東系のそこそこの風がはいっている。この時期の北東系の風は、信頼できないので、すぐ風向きもかわるだろうと思っていたら、意外なことに、一日安定して北東系の風だった。そこそこ楽しめるじゃないか!。

そんな光景を目の前に、すでにビールをしっかり・・・。

食べ物メニューは、例のごとくすさまじい量の肉、野菜、魚介類・・・・・、飲み物。

今回はNシェフとそのスタッフがスペシャルメニューを披露。ローストチキンとローストビーフ、そして特性焼きそば。

すごかった。

朝9:30には出動して、炭起こしや荷運びなど、一生懸命働きましたが、それでも申し訳ないと思えるくらいに素晴らしいBBQでした。

唯一本日残念だった点をあえてあげれば、朝の天気予報を信じて道具をださなかったけど、そこそこの風があったので、だしておけばウィンドサーフィンもできてよかったなあ、と思えています。

土曜日, 9月 11, 2010

初秋の三戸浜

今年の猛暑は記録に残るものだったらしい。でも、先週台風が来て、だいぶ涼しくなった。

いよいよ秋だ。

朝遅く起きると、窓の外では木々の葉がさわさわと揺れている。天気予報では、午後、風がそこそこあがる予報だった。

三戸浜へ行こう。三浦もずいぶん久しぶりだ。


いい天気だ。


到着すると、馴染みの顔ぶれもいて、ちょっと安心。でも、風はどうもイマイチふきあがっていないようだ。


まあいい。いい天気だ。セッティングして海へ。


インサイドは寂しい限りだったが、アウトはそこそこ。63のセイルでも、走るのだけれどもかなり神経質に気を遣わなければいけない。
アウトからインサイドへ帰る時は、波が加速してくれるので、楽だった。

もう一息感はあったが、そこそこ楽しめた。

天気も良かったので、道具を片づけたころに、きれいな夕日の日没がが拝めるかなと思ったけど、雲がかかって残念。


日中は日差しがまだとても強いので、ラッシュガードでも大丈夫でした。

木曜日, 9月 02, 2010

夏の終わりの本栖湖

夏の終わりを迎える本栖湖。

8月28日、29日。今年最後かな、と本栖湖へ。

いつものキャンプメンバーも乗り入れ、夜も豪華なキャンプだった。

Sちゃんの作ってくれたタイカレーのおいしいこと!!!。


28日は、ファンビーチ。

今年最高のコンディションでした。

ごちそうさまです。

夏の終わりに最高の思い出となりました。


29日は、あいにく微風。でも、しっかりジャイブの練習。

帰りは大渋滞で、もしかしたらやはり朝のうちに帰るのが正解だったかも。

夏の終わりの大渋滞は、あちこちの事故によるもの。高速の渋滞を嫌って、下道にも流れ込み、246も大渋滞でした。道志道だけがうまくぬけられたようです。(といっても、時間はかかるのですが・・・)


でも、28日のおかげで、個人的にはとても気持ちよく、夏を終わることができました。


今後のために記録しておこうと思います。

南西系の風が入った28日はばっちり。でも、西から少し北に触れるような29日は、微風のままでした。
これは、今年の8月8日のファンビーチとまったく同じ。西側の山の頂上に雲がかかり、南の竜ヶ岳にもかかっているのだけど、吹かない。





夏の本栖湖に風が吹く理由を理解すれば、なぜそうなるのかわかるような気がします。

夏の本栖湖にいい風が吹く理由を説明したものをつくってみました。

  1. 南西系の風は、富士山を迂回する風と増幅する。
  2. 晴れて甲府盆地の地表温度があがると上昇気流が起こり、周囲の湖や緑地の低温地域との温度差が大きくなればなるほど、サーマルウィンドが強く吹く。

という理由によるものです。二つの事象が重なると、確実性が増すのでしょう。
確かに、鳥瞰図でみるとこの説明が良く分かります。

送信者 Windsurfing.Network ウィンドサーフィン.ネットワーク

木曜日, 8月 12, 2010

夏の海の公園 8月11,12日

台風が接近している。

山は特に天気が不安定になりがち。本当は本栖湖に行きたかったが、断念。

近所の海の公園でウィンドサーフィン。久しぶりだ。


11日は、午後4時過ぎくらいから。午後吹くという天気予報にのったが、残念ながら63アンダー。

12日は、朝から吹くという天気予報を信じ切れずに、63ででたところ、ドオーバー。おまけにガスティ&シフティ。

どうも、イマイチの二日間だった。


海の公園は、この時期、海水浴区域を区切るラインがひかれる。このラインがネックになって、結構沖から岸辺に帰るのに苦労した覚えがある。

だが、今はコーナーをだいぶ緩くしてくれていて、楽に帰れるようになっている。

海の公園も進化しているようだ。

夏の本栖湖 8月7-8日  本栖湖ルートを斬る

行きは
金沢文庫6:30過ぎ
ポーラ美術館8:30着、美術館巡りの後10:40発
本栖湖12:10着

正味3時間半程度。


西湘バイパス、箱根越えのルート。
御殿場からの渋滞を嫌って、東へ迂回コースをたどった。渋滞にはあわなかったが、かなりおおまわりしているので、もう少しシェイプアップできるだろう。
西湘バイパスで湘南大橋あたりから渋滞。東富士五湖道路も少し流れが悪かった。



大きな地図で見る


帰りは、富士吉田に至るまでの道路が混んでいるということで、一度南下して鳴沢に通じる道を選択。
出発は4:30
これで、鳴沢まではすいすい。でも、ここから、もうしばらく混んでいる。
富士吉田で、東富士五湖道路が出口付近で5kmほど混んでいるという表示を見て、山中湖ICで下道。そして、下道138号で須走へ。そこから、東へ進路をとり、246に接続。途中数回渋滞にはまるが、国府津icから、西湘バイパスへ。
大磯あたりで渋滞。うまくこの辺でおりて、1号線に乗り換えるのも良い選択肢かもしれない。
渋滞を抜けると、134号で沿岸を走る。
結局ついたのは8:30。たっぷり4時間かかった。富士吉田までの間で混む。246で数回混む(トンネル前など)。西湘バイパスの大磯あたりで混むなどが原因。
正味4時間。


大きな地図で見る

水曜日, 8月 11, 2010

夏の本栖湖 8月7-8日  ウィンドサーフィン編

12時過ぎに本栖湖に到着。

今回は、7日ドラゴンビーチ、8日ファンビーチで過ごした。
7日は、晴れて、63アンダーのときどき吹くブローで数本プレーニング。8日は曇りで終始弱風。
ちょっと肌寒かった。

ま、清涼感もあるし、そこそこ楽しめたかな?

夜は、バーベキュー。精進湖民宿村の宿屋に宿泊。


例年の本栖湖と少し違うと感じたことがある。

水位が上がっているのだ。そのため、日ごろは露出している波打ち際の岩が水面下に隠れてしまっている。ゲッティングアウトするときにあぶない。ボードのフィンがぶつかってこけたり、こけて落ちた時に岩にぶつかったりする。今回、そのような事故にあった人が出て、せっかくのウィンドサーフィンを楽しむことができずにかわいそうだった。

特に何回か本栖湖に来た人は、無防備で事故になりやすい。「あれ、こんなところに岩なんてあったっけ?」と驚いている。

昔から来てる人たちの話によると、10年前から比べると確かに水位があがっているという。

ここで、二つの仮説。


  1. 今年は、春から雨が多かった。だから、湖の水位も上がっている。
  2. 地球温暖化現象により、山の融雪範囲が広がった。あるいは、そもそも雪や雨の量が増えている。




このブログでも「不都合な真実」を読んで、温暖化の恐ろしさをとりあげたことがあるが、本当に身近に迫ってきているのではないかと思う。

環境は変化しているのだ。遊ぶ時にもよく注意しておこう。慣れた時が一番危ない。基本的に湖の遊びは危険なのだ。

月曜日, 8月 09, 2010

夏の本栖湖 8月7-8日  ポーラ美術館編

仕事が思ったより順調に進み、予定していた土日出勤も無し。

どうしようか?世話になっている海の公園のショップがちょうど本栖湖ツアーを企画していたので、行くことにした。

6:30金沢文庫発。東名高速の横浜町田はもう渋滞し始めている。6:00までには横浜町田を抜けなければ、厳しい。

西湘バイパスルートを選択。ここもいつもの橋のあたりで渋滞。箱根にさしかかったのはもう8時ころだった。

ここで、ポーラ美術館への行き先標識が目に入った。

そうえいえば、この前ウィンドサーフィンキャンプで、「ポーラ美術館いいよ」と薦めてくれた人がいたのを思い出した。行ってみよう。本栖湖が吹くのはどうせ午後からだろう。

ポーラ美術館には8:30に到着。駐車場の警備員が「9:00からだよ」と教えてくれた。警備員の話では、休日は1000人を超える来館者がある日もあるという。いくらか資料をもらって、今回は「日本画」の企画展が開かれていることを知った。

日本画というとあまり、関心を持ってみてこなかったので、ちょっと覗いてみることにした。

9:00門が開く。
道路から橋を渡って館内に入るアプローチはドラマチックだ。中に入ると下側に白い空間が展開して、大きなガラス面に透ける外部も緑のコントラストが印象的だ。

また、受付カウンターまわりに数人いる従業員のユニフォームは真っ白でが、建物の空間にコーディネートされていて、一層空間の上質な感じを高めている。一方、美術展示場の中に入ると黒のユニフォームに代わる。作品を目立たせるため、影のように姿を消す効果を狙ったものだろう。

展示場の説明文を読む。
ふむ、日本画という言葉は明治期に生まれたという。洋画に影響を受けながら、古来の日本画の技法が新しい展開を迎えていく、そういう時代の変革と挑戦の気鋭を伝える展覧会だ。ひとつは、輪郭線からの開放であり、もうひとつは、抽象化への道だ。画家たちは、様々な挑戦をして、独自の表現に挑戦していった。

杉山寧氏の作品が多かったが、その時代を取り巻く環境、その時代の画家たちが果たした役割などを展示してあり、現在に至るまでの日本画の経緯がよくわかる。

小企画展では、フォービィズムの画家として脚光を浴びたアルベールマルケの作品が展示されていた。


常設展では、モネや、セザンヌ、ルドン、ゴーギャン、ゴッホなど印象派のあとの抽象画に至る
絵画が多く、見ごたえがあった。実は今、ポーラ美術館コレクション展と称して、この美術館所蔵のの印象派&エコールドパリを代表する作品が横浜美術館に行って企画展となっている

といえども、ボリュームもあり、見応えのある美術館だ。季節ごとに入れ替えをするほど所蔵品は多く、その蔵に抱えるものが横浜に出張しているということなのだろう。


10時半に美術館を後にして、本栖湖に向かった。







以下今回の企画展の概要を残しておこう。(WEBページはこちら)以下抜粋



ポーラ美術館初の日本画展となる本展覧会では、収蔵作品の中から約120点を1期・2期に分け、当館の日本画コレクションを総覧いただきます。なかでも43点を数える杉山寧(1909 - 1993)の絵画コレクションは日本最大級のもので、見どころのひとつです。
展覧会では、日本画の近代化に尽くした横山大観(1868-1958)をはじめとして、叙情的な作風でヨーロッパ風景を描いた東山魁夷(1908-1999)、人間の精神性を追究した髙山辰雄(1912-2007)、写実と抽象を組み合わせた構図や厚塗りのマティエールを追究した杉山寧、仏教伝来とシルクロードをテーマに描き、文化財保護にも尽力した平山郁夫(1930-2009)などの作品を通して、現代日本画家の造形上の実験と今後につながる可能性を、今あらためて捉えなおすことを企図しております。
出品作家: 横山大観、川合玉堂、小林古径、安田靫彦、前田青邨、福田平八郎、徳岡神泉、山本丘人、東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄、加倉井和夫、横山操、平山郁夫 (生年順)
展覧会は4つのセクションに分かれ、現代日本画への序章となる第1部「横山大観とその周辺」、コレクターが最も力を入れて収集した杉山寧を特集する第2部「杉山寧『純粋絵画』への道」、第3部「東山魁夷と日本画の叙情」、第4部「平山郁夫 源流を求める旅」から構成されます。


「日本画」という言葉は、明治期に生まれたそうだ。画家たちは洋画との確執の中で、様々な表現を試みていったようだ。以下引用。


日本画における『写実』とは何か?」明治期に「日本画」という言葉が生まれて以降、画家たちは洋画との確執の中で、この問題に対峙してきました。横山大観(1868-1958)が試みた没線描法は、伝統的な日本画に欠かせなかった輪郭線を排除し西洋の空気遠近法に倣ったもので、見慣れない描写に抵抗をもった評者から「朦朧体」と揶揄されます。
小林古径(1883-1957)、安田靫彦(1884-1978)、前田青邨(1885-1977)は、日本画における「新古典主義」を確立した画家として、主題、技法のいずれにおいても伝統を踏襲する一方で、大胆に分断された構図や抽象表現の萌芽をみせ、近代的な展示空間にふさわしい日本画のモダニズムを模索しました。
東京美術学校在学中に帝展(帝国美術院展覧会)に入選し、さらに美校を主席で卒業した杉山は、新進気鋭の若手画家として華々しく画壇にデビューしました。そして厚塗りの堅牢な画肌を編み出し、抽象的な形態を主題として、伝統的な「日本画」の概念を覆すような制作を始めます。やがて杉山は、色面構成のように抽象的なモティーフを組み合わせた背景に、細密に描写した花鳥を配する独自の画風を打ち立てました。

日曜日, 8月 01, 2010

夏の本栖湖  7月31日ー8月1日

この週末、ウィンドサーフィンに行くと知人たちが盛り上がっている。

仕事に追われて・・・・・、参加は難しいかな?と思ったが、ここは、仕事に対する発想を変えて、結局参加することにした。

仕事が終わったわけではないが、ひと段落を設けて、よその部署にパス。
よその部署が対応している間、こちらには一瞬の仕事の空白ができる。

その間隙にウィンドサーフィンの週末を入れる・・・・・。


基本的に疲労が蓄積しているので、朝はゆっくり。
今回は、金沢文庫を11時に出てみる。町田から東名にはいり、御殿場からいつもの迂回路を経て、富士五湖道路、そして本栖湖へ。到着は途中、買い物などしながら、二時過ぎ。

この週末は際立った特徴がないので、そう激混みしないだろう。つまり、全体の量がそう多くなければ、激混みタイミングをはずせばそれなりに流れているだろう。そんな読みだ。
そう考えてみると、朝早めに出た方がいいだろうという平均的な判断が出る時間帯がもっとも混むことになり、そのほかは意外にすいているのではないか?いつもは、朝早めにタイミングをずらしがちだが、今回は、午後11時と後ろにずらしてみた。結果はOK。悪くない。御殿場から富士五湖道路への道は、う回路を選択したほうがよかったが、全体としてはスムーズだった。

二時半からセッティング。もういい感じで吹いている。
ゲティングアウトは3時前。104Lのボードに、63セール。セイルは、セッティングを緩めて、弱風対応。

まだらブローで、ブローをとらえてソフトプレーニング。

もう一息ともいえるが、そこそこ楽しめた。

ブローのないところは、プレーニングこそできないが、しっかりと進むくらいの風はあり、テイルジャイブやタックなどの練習にはいいコンディション。



夜は、6時くらいから焚火をセッティングして、とりあえず、二人で7時過ぎくらいからビール。9時くらいから仲間がやってきて、結局6人で夜3時まで飲んだ。今回は、海の公園でのおなじみメンバーも遊びに来てくれたので余計楽しかった。


夜来た人たちは、翌日フルを期待。でも、私は、土曜日にそこそこ楽しんだので、昼前に吹きあがらないことを確認したあと撤収。帰りの渋滞を嫌った。


帰りは12:00発で、3時間ちょっと。渋滞は本栖湖から吉田インターへいく序盤の単線路できつかったが、そのほかは、大和トンネル前、海老名で車線が減るあたりで流れが悪くなっている程度だった。

楽しい二日間だった。

土曜日, 7月 31, 2010

梅雨明けの本栖湖・・・・・本栖湖ウィンドサーフィン編

17日午後2時半から-19日朝8時まで滞在。

梅雨明けて、とても、爽快な3日間を堪能した。

ウィンドサーフィンは17日午後と18日午後。どちらも吹いて満足。

本栖湖の湖面はウィンドサーフィンのセイルだらけ。

両日ともキャンプは例年通りもりあがる。

本栖湖キャンプ場は18日よりも17日のほうが混んでいた。最終日の渋滞を嫌って、早めに皆帰ったのだろう。19日の朝帰りは、渋滞もなく、東名をつかって2時間半で帰れた。

梅雨明けの本栖湖・・・・・手打ちそば

彫刻の森美術館を出て、もう12時半だ。本栖湖へいそがなきゃ。でもそのまえに、とりあえず、昼飯。
地図で見ると、車で強羅の駅の脇を抜けて、138号(箱根裏街道)へ接続する道があるようだ。どうも道が細そうでくねくねして心配だが・・・・。

このルートをチョイス。

強羅駅辺り、なんだか風情漂う観光地だ。電車で来てもいいところなのかもいいかもしれない。
駅の脇を抜けたところで、左手に「純手打そば喜楽荘」という店をみつける。駐車場も入りやすい。
店の構えもしっかりしている。

箱根でそばもいい。

入ってみると、結構混んでいる。一人だったのですぐすわれた。
メニューを開くと、箱根御膳というそばやてんぷらなど様々な料理ののった贅沢な食べ物が目に映る。
だが、ダイエット中の私にはてんぷらは天敵。

わき腹をつまんでみる・・・・。脂肪が厚くなってきているような気がする。

未練はない。

「せいろそばをお願いします」

1260円もするのだから、どんなそばがでてくるのだろうと期待。

まずは薬味。わさびは自分ですりおろす。弧を描くようにするそうだ。

香りがいい。

続いて、そばがでてきた。

おいしい。風味もいい。

頂いて最後はそば湯で締め。

お茶を飲んで・・・・お!もう一時前だ。


あわてて店を出る。
138へのルートは心配したほどのことはなく、無事御殿場へ。
でも、ここからが混んでいる。東側の迂回ルートをとって、ようやく富士五湖道路へ。

すいていた。高速道路無料化の影響がどうでるのか心配していたが、すいすい。かねてからちょっと高い道路だと思っていたので、無料化されて爽快。

そこからは、恙無く本栖湖へ到着した。

月曜日, 7月 26, 2010

梅雨明けの本栖湖・・・・・・箱根彫刻の森編

突然の梅雨明け!。

突然のごとく夏の日差し。
17-19日の三連休。例年通りの本栖湖でキャンプ。

土曜朝。東名はしっかり渋滞しているので、西湘バイパスへ。7時ころ出発したら、例によって、湘南大橋から花水大橋まで渋滞。
西湘バイパスをこえ、箱根へでたのは9時過ぎくらいか・・・・。

さらに進んで思わぬハプニング。道を間違えた!!!。

いつもと景色が違う。彫刻の森美術館の看板がみえた。あれ?こんなのあったっけ?

彫刻の森美術館で、方向転換しようかなと駐車場に入ったら、わきに警備員がよってきて駐車場代は500円だという。いや方向転換だけですといえずに、そのまま払ってしまった。
せっかく、駐車代金をはらったのだからと、美術館のチケット売り場に。・・・1600円。・・・・しっかりした値段だ。ウィンドサーフィンも気になるからちょっと見てでようというにはもったいないかなあと思いながらも、結局入ってみる。

まあ、どうせ本栖湖の風が吹くのは午後二時くらいだろう。

二つの建物の間の長いエスカレーターを降りる。二つの建物の間は、スリット上の緊張した空間となっていて、その先には深い緑が見える。

エスカレーターを降りて、トンネルのような抑圧された空間を抜けると、そこには、天空とおだやかなアンジュレーションを持った丘と、遠くに山々を臨む広場に出る。

天気も晴れて爽快だ。


右手に、ヘンリームーアの看板を掲げた建物がある。

好きな彫刻家だ。実は、「ファミリー・グループ」の写真は、自分の部屋にも飾ってある。

中に入ってみると、ヘンリームーアの彫刻や経歴などが展示してある。おお!「ファミリー・グループ」もあるじゃないか!。ヘンリームーアの生涯を10分ほどで解説してくれるビデオもある。ふーん。彼は自然の中のもの、たとえば貝殻や枯れ木をアトリエに持ち帰って形造りの参考にしていたという。自然の形、横たわる姿勢、穴や隙間が彫刻に与える緊張感・・・・に魅かれたらしい。わかったようなわからないようなこともあるが、結構発見がある。


その建物を出ると、太陽はいよいよさんさんと輝いている。美しい芝の上に、深い緑の山肌に、あるいは陽光のきらめく空中に、さまざまな彫刻がある。


おもしろい。とても楽しい。みんないきいきとしているではないか!


場内はもりらくさん。子供が遊べるものもある。温泉で足を温める施設もある。いちばん奥の建物にはピカソの展示物。
池があり、鯉がおよぎ水面がゆらめく。その中に投げ出された彫刻・・・。階段あり、坂道ありで結構立体感のある散策コースだ。


11:30から30分程度の美術館の人が、彫刻の森ツアーと称して案内してくれたので、聞いてみた。


以下その講話。

彫刻は、その昔、権力者や資産家が自分の力を世間に誇示するために作っていたものらしい。要するに権力や富の象徴。だが、やがてその地位は絵画にとって代わられる。絵画は、より手軽に生産できたため、量産され、多くの人に親しみやすい自己顕示欲の表現の機会となった。これにより、権力や富を誇示する役割としての彫刻は衰退していったという。 
19世紀になって、再び彫刻を美術の表舞台に引っ張り出したのが、オーギュスト・ロダンロダンの「考える人」という作品は有名だ。ロダンはそれまでの彫刻になかった二つの意味を彫刻に与えた。まず、人間の内面を表現したこと。そして、彫刻に深い陰影を与えて光と影の効果を与えたこと。これらの効果により、写実的表現では外観しか表現できなかった内面を表現することに成功したらしい。
確かに、ロダンの「考える人」 を見ると、「あ、この人何思いあぐねているんだろう?」と思う。人間の内面を表現しているとはこのことか。そして、確かに、なんだかごつごつしている。現実にはこんなにごつごつした人はいないのだが、そのごつごつ感から影が生じ、深い物思いを感じさせているのは間違いない。
彫刻にとっては、新しい表現形態。新しい社会的意義を持つ可能性がでたわけだ。面白いことに、これをきっかけに、彫刻家になりたいという人が多くでてきたという。そして、彫刻界は再度日の目をあびる。ロダンは、彫刻界に新しい息吹を与えたというわけだ。
彫刻の森には、ロダンの「バルザック像」がある。ブロンズ像は複製が作られるらしい。ここのバルザック像は正規の手続きを経て複製されたものだ。つまり、世界にはいくつかのバルザック像があり、ここにはその本物のなかのひとつがある。

だから、入館料は決して高くないのだと案内員は言っている。確かに、本物を拝めるのだから、決して入館料は高くない・・・・。

続いて、ヘンリームーアの「横たわる像、アーチ状の足」の像の前に行く。ここでは、抽象化という話をしていた。形を一度抽象化して、製作者の意図をより明快に表現するということだ。ロダンの場合、像に深い彫り込みを与えてでる光と影の効果によって、人間の内面も表現した。これも一種の抽象化だ。ヘンリームーアの場合、自然界の形をアトリエに持ち込んでそれを熱心に研究して形を作っていったという。人の彫刻を作る時、人そのものの形を写実的に正確に表現するのではなく、一度、自然界の中の形に置き換えて単純化・抽象化している。その形と穴や隙間あるいは彫りのもつ緊張感で、表現しようとする。

案内人はブロンズ像の複製の見分け方を教えてくれた。ブロンズ像は、鋳型にブロンズを流し込んで作るために、複数の像を作ることができる。ブロンズ像の一角にかならず作者のサインがあり、そのあとに2/6のような数字をみつけることができる。これは、作成時に6体作られたものの2体目という意味だそうだ。また、その下にどこの鋳造所で作られたか、その場所を記銘しているという。
その次には、伊藤隆道氏の16本の回転する曲がった棒という作品のところにいく。案内人の話によると、作者の作品への思いは、見る人の心が世俗の悩みから解放されることを望んだものだという。
工業の発達とともに、新しい材料ができてきた。古くから伝わる彫刻の材料ではできなかった表現を、新しい材料でできるようになった。この作品は、そんな新しい表現の例。ステンレスは、彫刻界においては、その加工性と質感から、革命的な材料であったらしい。

最後はジュリアーノ・ヴァンジの「偉大なる物語」。彫刻の森美術館のために作られたものだという。場所も決められて注文されたそうだ。白く美しく柔らかい面をもっている。だれもが、きれいでいいなと思うだろう。順路に従ってその作品に近づくと、まず、作品の横側にたどりつく。そこには、だんだん細くなる洞窟状の形状が表現されている。その入り口には樫の木が生い茂っている。樫は若い時の可能性と生命感を表しており、次第に、せまくなる洞窟は人生をあらわしているという。さらに順路の道を進むと作品の正面にでる。その壁面には女が風のように現れ、そして男が悩ましげな表情で中央でうずくまっている。そして、さらに歩いて行くと、作品の別の端にでて、そこにはりりしい男が一歩一歩を歩んでいるというものだ。
案内人の話によるとヴァンジが表現したかったのは、現在の男の人生ということらしい。若き日にさまざまな可能性を与えられるが、狭き門をくぐりぬけねばならない。その過程で男は思い悩むものであり、様々な女性がそのわきを去来する。だが、最終的には、社会のさまざまな重荷を背負ってりりしく社会をひっぱっていくものである。そういうことを表現したかったらしい。
案内人はこの話をしても、女性にはあまりわかってくれないといっていた。一生懸命、自分が言ったわけではなく、ヴァンジの言ったことだと説明していた。


ま、彫刻の表現は多様で面白いということなのだろう。


屋外で彫刻を見るというのがこんなに面白いとは思わなかった。いきいきしている。
美術館の中で展示されているものも、もちろんいい。でも、以下のヘンリームーアの言葉にも共感することしかりだ。


「・・・・ひとたび野外に出て陽を浴び、雨に打たれ、雲の移り行きを感ずるときには、彫刻も生活のいちぶであるということがよくわかる・・・・」

なるほどと思う。

以下彫刻の森へのリンク