月曜日, 8月 09, 2010

夏の本栖湖 8月7-8日  ポーラ美術館編

仕事が思ったより順調に進み、予定していた土日出勤も無し。

どうしようか?世話になっている海の公園のショップがちょうど本栖湖ツアーを企画していたので、行くことにした。

6:30金沢文庫発。東名高速の横浜町田はもう渋滞し始めている。6:00までには横浜町田を抜けなければ、厳しい。

西湘バイパスルートを選択。ここもいつもの橋のあたりで渋滞。箱根にさしかかったのはもう8時ころだった。

ここで、ポーラ美術館への行き先標識が目に入った。

そうえいえば、この前ウィンドサーフィンキャンプで、「ポーラ美術館いいよ」と薦めてくれた人がいたのを思い出した。行ってみよう。本栖湖が吹くのはどうせ午後からだろう。

ポーラ美術館には8:30に到着。駐車場の警備員が「9:00からだよ」と教えてくれた。警備員の話では、休日は1000人を超える来館者がある日もあるという。いくらか資料をもらって、今回は「日本画」の企画展が開かれていることを知った。

日本画というとあまり、関心を持ってみてこなかったので、ちょっと覗いてみることにした。

9:00門が開く。
道路から橋を渡って館内に入るアプローチはドラマチックだ。中に入ると下側に白い空間が展開して、大きなガラス面に透ける外部も緑のコントラストが印象的だ。

また、受付カウンターまわりに数人いる従業員のユニフォームは真っ白でが、建物の空間にコーディネートされていて、一層空間の上質な感じを高めている。一方、美術展示場の中に入ると黒のユニフォームに代わる。作品を目立たせるため、影のように姿を消す効果を狙ったものだろう。

展示場の説明文を読む。
ふむ、日本画という言葉は明治期に生まれたという。洋画に影響を受けながら、古来の日本画の技法が新しい展開を迎えていく、そういう時代の変革と挑戦の気鋭を伝える展覧会だ。ひとつは、輪郭線からの開放であり、もうひとつは、抽象化への道だ。画家たちは、様々な挑戦をして、独自の表現に挑戦していった。

杉山寧氏の作品が多かったが、その時代を取り巻く環境、その時代の画家たちが果たした役割などを展示してあり、現在に至るまでの日本画の経緯がよくわかる。

小企画展では、フォービィズムの画家として脚光を浴びたアルベールマルケの作品が展示されていた。


常設展では、モネや、セザンヌ、ルドン、ゴーギャン、ゴッホなど印象派のあとの抽象画に至る
絵画が多く、見ごたえがあった。実は今、ポーラ美術館コレクション展と称して、この美術館所蔵のの印象派&エコールドパリを代表する作品が横浜美術館に行って企画展となっている

といえども、ボリュームもあり、見応えのある美術館だ。季節ごとに入れ替えをするほど所蔵品は多く、その蔵に抱えるものが横浜に出張しているということなのだろう。


10時半に美術館を後にして、本栖湖に向かった。







以下今回の企画展の概要を残しておこう。(WEBページはこちら)以下抜粋



ポーラ美術館初の日本画展となる本展覧会では、収蔵作品の中から約120点を1期・2期に分け、当館の日本画コレクションを総覧いただきます。なかでも43点を数える杉山寧(1909 - 1993)の絵画コレクションは日本最大級のもので、見どころのひとつです。
展覧会では、日本画の近代化に尽くした横山大観(1868-1958)をはじめとして、叙情的な作風でヨーロッパ風景を描いた東山魁夷(1908-1999)、人間の精神性を追究した髙山辰雄(1912-2007)、写実と抽象を組み合わせた構図や厚塗りのマティエールを追究した杉山寧、仏教伝来とシルクロードをテーマに描き、文化財保護にも尽力した平山郁夫(1930-2009)などの作品を通して、現代日本画家の造形上の実験と今後につながる可能性を、今あらためて捉えなおすことを企図しております。
出品作家: 横山大観、川合玉堂、小林古径、安田靫彦、前田青邨、福田平八郎、徳岡神泉、山本丘人、東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄、加倉井和夫、横山操、平山郁夫 (生年順)
展覧会は4つのセクションに分かれ、現代日本画への序章となる第1部「横山大観とその周辺」、コレクターが最も力を入れて収集した杉山寧を特集する第2部「杉山寧『純粋絵画』への道」、第3部「東山魁夷と日本画の叙情」、第4部「平山郁夫 源流を求める旅」から構成されます。


「日本画」という言葉は、明治期に生まれたそうだ。画家たちは洋画との確執の中で、様々な表現を試みていったようだ。以下引用。


日本画における『写実』とは何か?」明治期に「日本画」という言葉が生まれて以降、画家たちは洋画との確執の中で、この問題に対峙してきました。横山大観(1868-1958)が試みた没線描法は、伝統的な日本画に欠かせなかった輪郭線を排除し西洋の空気遠近法に倣ったもので、見慣れない描写に抵抗をもった評者から「朦朧体」と揶揄されます。
小林古径(1883-1957)、安田靫彦(1884-1978)、前田青邨(1885-1977)は、日本画における「新古典主義」を確立した画家として、主題、技法のいずれにおいても伝統を踏襲する一方で、大胆に分断された構図や抽象表現の萌芽をみせ、近代的な展示空間にふさわしい日本画のモダニズムを模索しました。
東京美術学校在学中に帝展(帝国美術院展覧会)に入選し、さらに美校を主席で卒業した杉山は、新進気鋭の若手画家として華々しく画壇にデビューしました。そして厚塗りの堅牢な画肌を編み出し、抽象的な形態を主題として、伝統的な「日本画」の概念を覆すような制作を始めます。やがて杉山は、色面構成のように抽象的なモティーフを組み合わせた背景に、細密に描写した花鳥を配する独自の画風を打ち立てました。