このサイトを見ると、海岸線がどのように変わったのか一目瞭然だ。
テレビでしばしば報道されてきた、ヘリや高台からの撮影するカメラの眼とは少し異なる角度だ。
あらためて破壊のすさまじさを感じる。
ABC News - Japa投稿を公開n Earthquake: before and after
どこの海に行っても、ウィンドサーフィン楽しめるといいですね。
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月曜日, 3月 14, 2011
火曜日, 7月 28, 2009
鹿児島から沖縄へウィンドサーフィンした人 約束のウインドサーフィン届く 冒険家中里さんから十島諏訪�
鹿児島から沖縄へ、いくつかの島々によりながら、ウィンドサーフィンで航海した人がいるという。
驚かされるが、その志に感銘を覚える。
以下の記事には、途中よった島々での人との触れ合いが、伝わってくる。
約束のウインドサーフィン届く 冒険家中里さんから十島諏訪�
きっと子供たちの心には一生やきつくことだろう。冒険心と挑戦そして克服いうとても精神の大きなプレゼントをしたことになるのではないだろうか?
それにしても、大変な旅だ。一日何時間もウィンドサーフィンで航海する・・・・それだけでも大変だと思う。ましてや、ほとんど、一方向にはしるわけだから、ずっと同じ方向を見てセールしなければならない。
一度、鹿児島湾を横断したことがあるが、その時ですら、首と腰がこってしょうがなかった。
さめとか怖くなかったのかなあ、などと心配もしてみたり・・・。
本当にすごいと思う。でも、安易に真似てはいけないと思う。
驚かされるが、その志に感銘を覚える。
以下の記事には、途中よった島々での人との触れ合いが、伝わってくる。
約束のウインドサーフィン届く 冒険家中里さんから十島諏訪�
きっと子供たちの心には一生やきつくことだろう。冒険心と挑戦そして克服いうとても精神の大きなプレゼントをしたことになるのではないだろうか?
それにしても、大変な旅だ。一日何時間もウィンドサーフィンで航海する・・・・それだけでも大変だと思う。ましてや、ほとんど、一方向にはしるわけだから、ずっと同じ方向を見てセールしなければならない。
一度、鹿児島湾を横断したことがあるが、その時ですら、首と腰がこってしょうがなかった。
さめとか怖くなかったのかなあ、などと心配もしてみたり・・・。
本当にすごいと思う。でも、安易に真似てはいけないと思う。
土曜日, 11月 01, 2008
金田湾日和
今日の金田湾は美しく晴れました。
秋~冬の金田湾のもっともいいところがでた1日でした。
水も、風も澄んできれいです。
棒杭のあたりで6.0ジャスト。ウィンドサーフィンもサイコー。沖に出る時は、波に直行しているので、何回もはねて、とびました。岸に向かう時は、まるで空中に浮かんでいるようなスムースなプレーニング。
一歌
房総の 青空目指して 海走る
かえりみすれば 冠雪の富士
金田湾から臨むと、東京湾を挟んで房総半島がシルエット状にうかびあがります。特に秋から冬の晴れた日は空気がとても澄んでいるので、房総半島のシルエット、明るい空の色、深い海の色、そのコントラストが冴えわたり、美しい。金田湾から、ウィンドサーフィンで房総半島を目指して沖に出ます。いい風の吹くところでウィンドサーフィンを楽しむのですが、ふと振り返ってみると、空気の澄んだ日には三浦半島の背後に富士山が見えます。晩秋の富士は既に冠雪しています。
あらたな驚きと発見があります。
その状況を歌にしてみました。
秋~冬の金田湾のもっともいいところがでた1日でした。
水も、風も澄んできれいです。
棒杭のあたりで6.0ジャスト。ウィンドサーフィンもサイコー。沖に出る時は、波に直行しているので、何回もはねて、とびました。岸に向かう時は、まるで空中に浮かんでいるようなスムースなプレーニング。
一歌
房総の 青空目指して 海走る
かえりみすれば 冠雪の富士
金田湾から臨むと、東京湾を挟んで房総半島がシルエット状にうかびあがります。特に秋から冬の晴れた日は空気がとても澄んでいるので、房総半島のシルエット、明るい空の色、深い海の色、そのコントラストが冴えわたり、美しい。金田湾から、ウィンドサーフィンで房総半島を目指して沖に出ます。いい風の吹くところでウィンドサーフィンを楽しむのですが、ふと振り返ってみると、空気の澄んだ日には三浦半島の背後に富士山が見えます。晩秋の富士は既に冠雪しています。
あらたな驚きと発見があります。
その状況を歌にしてみました。
日曜日, 6月 22, 2008
アマゾン川のピンクイルカと共生する少女
TVでアマゾン川でピンクイルカと共生する少女の番組を報じていた。
少女が水面にあるメッセージを送ると、ピンク色のイルカたちがあつまってくる。それは、人とイルカが対話できるという、ひとつの人類の夢の形を実現している。
映像はとてもきれいだった。
あどけないイルカ。やさしい目だ。美しい少女。褐色の川。深い深い森。そして陽光。
雨季には川が増水し、アマゾンの土地を川の水がうずめる。森林が水につかり、タンニンという成分が流れ出し、褐色の水の色となる。そういう理由もあるのかとても豊かな川だ。さまざまな生命が宿る。淡水だが、エイもいればサヨリもいる。
カワイルカは、中国やインドにもいる。だがその数はいまや激減して絶滅も危ぶまれる。
アマゾンでも、その危機は予想されている。おもに以下の理由だ。
1.密漁者の網に引っかかって命を落とすイルカ
2.イルカの一部(目や生殖器)を持つと幸運を招くとされる現地の迷信
3.現代文明の建設行為に伴う危機
3.の建設では具体的にはダム建設が現実として施行されることになっており、そのダムが建設されることによりピンクイルカも絶滅の危機に瀕すと予想されているということだ。
ダム建設により、潤う町があるのは事実だ。その機会を奪うことに反論する人もいるだろう。
でも、このような開発至上主義が、温暖化を促進している。原油を使う機会を増やしている。
アマゾンの森が驚くほどのスピードで失われているという現実が、ゴア元大統領候補の「不都合な真実」にも掲載されていたと思う。その本には地球全体で森を失っていくことの恐ろしさが描かれている。
近代的な手法での開発は、資源やエネルギーを贅沢に使用してなりたっている。でも、そのことによって地球に失わせている環境に配慮すべき時代に突入しなければならない。誰も教えてくれない。自ら気づかなければいけない。
いるかを呼ぶ少女の美しさは、個人的な心の美しさでもあるのだろうが、社会全体で支えなければならないものだと思う。
少女が水面にあるメッセージを送ると、ピンク色のイルカたちがあつまってくる。それは、人とイルカが対話できるという、ひとつの人類の夢の形を実現している。
映像はとてもきれいだった。
あどけないイルカ。やさしい目だ。美しい少女。褐色の川。深い深い森。そして陽光。
雨季には川が増水し、アマゾンの土地を川の水がうずめる。森林が水につかり、タンニンという成分が流れ出し、褐色の水の色となる。そういう理由もあるのかとても豊かな川だ。さまざまな生命が宿る。淡水だが、エイもいればサヨリもいる。
カワイルカは、中国やインドにもいる。だがその数はいまや激減して絶滅も危ぶまれる。
アマゾンでも、その危機は予想されている。おもに以下の理由だ。
1.密漁者の網に引っかかって命を落とすイルカ
2.イルカの一部(目や生殖器)を持つと幸運を招くとされる現地の迷信
3.現代文明の建設行為に伴う危機
3.の建設では具体的にはダム建設が現実として施行されることになっており、そのダムが建設されることによりピンクイルカも絶滅の危機に瀕すと予想されているということだ。
ダム建設により、潤う町があるのは事実だ。その機会を奪うことに反論する人もいるだろう。
でも、このような開発至上主義が、温暖化を促進している。原油を使う機会を増やしている。
アマゾンの森が驚くほどのスピードで失われているという現実が、ゴア元大統領候補の「不都合な真実」にも掲載されていたと思う。その本には地球全体で森を失っていくことの恐ろしさが描かれている。
近代的な手法での開発は、資源やエネルギーを贅沢に使用してなりたっている。でも、そのことによって地球に失わせている環境に配慮すべき時代に突入しなければならない。誰も教えてくれない。自ら気づかなければいけない。
いるかを呼ぶ少女の美しさは、個人的な心の美しさでもあるのだろうが、社会全体で支えなければならないものだと思う。
ラベル:
広大な海
日曜日, 2月 17, 2008
海で生活する人々 ミャンマーのモーケン
テレビでモーケンという民族の特集があった。
ミャンマーの海の上で生活している民族だ。
美しく恵みの深い海で、素潜りでもりを使って獲物をとり、基本的に自給自足の生活を送っている。
結婚すると自分で船を作る。家族をその船に乗せて、漁をしながら生涯をおくる人生をスタートする。
漁によって得た獲物は自分達の食事とするだけではなく、陸の人たちと交換して、米や燃料を得る。
海で特に陸に高値で売れるものは、ナマコだ。それを燻製にして、陸で売る。ナマコの燻製は中国で食材としての需要があるから貨幣を獲得できる。
2週間かけて家族でとったナマコは陸で売って5000円だ。
お米50kgが3000円、そして燃料他、生活に必要なものを得るともう残らない。
裏を返せば、海の中で自給自足を旨としていたモーケンの生活も貨幣なしではなりたっていないということでもある。
モーケンの漁は、現代的な設備をつかわず、漁師の潜水能力とお手製のモリによっているために、収穫量を拡大できない。だから、貨幣獲得にはおのずと限界がある。体をつかっての生活は、文字通り生きていくのがやっとの生活だ。でも彼らの生活には、自由がある。
その生活が、最近脅かされているという。彼らが活動している海に、底引き網漁船や設備した潜水夫が押し寄せて海の幸を根こそぎとっていっているという。彼らが、モリと素手で収穫していた海の恵みはもうその海には無い。
世界的に水産資源の価値が高まる中、ミャンマーのその輸出高は2倍以上になっている。ミャンマー政府としては、近代的な設備で漁獲高を伸ばし、輸出量を確保することは国益だと考えるだろう。
ミャンマー政府は、モーケンに陸に定住生活を送ることを勧めているという。管理するためだ。
だが、モーケンの人々は祖先から受け継いできた生き方を、天職として受け止めている。そして、その中に自由という言葉もあった。
日本や先進国では、漁業権という確立された権利で抵抗できるのに、彼らにはそのような権利を訴える知恵も手段もない。そして、職業選択の自由という基本的な人権もおびやかされている。
そんな彼らをみるにつけ、補わなければならない不均衡を感じるのは私だけだろうか?
ミャンマーの海の上で生活している民族だ。
美しく恵みの深い海で、素潜りでもりを使って獲物をとり、基本的に自給自足の生活を送っている。
結婚すると自分で船を作る。家族をその船に乗せて、漁をしながら生涯をおくる人生をスタートする。
漁によって得た獲物は自分達の食事とするだけではなく、陸の人たちと交換して、米や燃料を得る。
海で特に陸に高値で売れるものは、ナマコだ。それを燻製にして、陸で売る。ナマコの燻製は中国で食材としての需要があるから貨幣を獲得できる。
2週間かけて家族でとったナマコは陸で売って5000円だ。
お米50kgが3000円、そして燃料他、生活に必要なものを得るともう残らない。
裏を返せば、海の中で自給自足を旨としていたモーケンの生活も貨幣なしではなりたっていないということでもある。
モーケンの漁は、現代的な設備をつかわず、漁師の潜水能力とお手製のモリによっているために、収穫量を拡大できない。だから、貨幣獲得にはおのずと限界がある。体をつかっての生活は、文字通り生きていくのがやっとの生活だ。でも彼らの生活には、自由がある。
その生活が、最近脅かされているという。彼らが活動している海に、底引き網漁船や設備した潜水夫が押し寄せて海の幸を根こそぎとっていっているという。彼らが、モリと素手で収穫していた海の恵みはもうその海には無い。
世界的に水産資源の価値が高まる中、ミャンマーのその輸出高は2倍以上になっている。ミャンマー政府としては、近代的な設備で漁獲高を伸ばし、輸出量を確保することは国益だと考えるだろう。
ミャンマー政府は、モーケンに陸に定住生活を送ることを勧めているという。管理するためだ。
だが、モーケンの人々は祖先から受け継いできた生き方を、天職として受け止めている。そして、その中に自由という言葉もあった。
日本や先進国では、漁業権という確立された権利で抵抗できるのに、彼らにはそのような権利を訴える知恵も手段もない。そして、職業選択の自由という基本的な人権もおびやかされている。
そんな彼らをみるにつけ、補わなければならない不均衡を感じるのは私だけだろうか?
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