平日の昼下がり、銭湯によってみる。温泉だ。
鹿児島の銭湯はすべて温泉。入ると、お肌がつやつやするとか、リラックスするとか様々な効用を感じる。
平日の昼下がりに銭湯に入るなどとは、ちょっと働いている方に申し訳ないという気もする。でも、日ごろ頑張っている自分へのご褒美と思えば、至極の贅沢だと楽しんでもいいだろう。そう思って自分を諌める。
窓から、少し傾いた日の陽光が差し入れている。窓のガラスはすりガラスで、木漏れ日の陽光を受け止めて輝くのだが、ゆらゆらと揺れる葉影をシルエットに映し出している。木漏れ日はそのすりガラスを介して浴場内に差し込み、ふわふわとした湯気に日光の陽と葉影の陰の文様を刻みいれている。不思議な文様を映し出した光のカーテンが幻想的にたなびいている。
温泉に陽光が届いている。
その差し入れる陽光の中に入って、光の浸入する窓ガラスを見る。
まぶしい!。
輝くすりガラスの窓に、木漏れ日の葉影がざわざわとうごめいている。
そのまばゆい光は湯気にたゆたいながら、そして金色に輝いている。
葉影はさらに深い文様となって湯気の表層を流れていく。
温泉の香りが漂っている。
はじける気泡が、空気を変えている。
様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。
そして多くの音を感じる。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。
湧き出でる温泉なのか、ジェット気流なのか、気泡のマッサージと、はじける気泡の音やしぶきに再び気づく。
体の中の血が、温められて、きっと温泉のミネラルを肌からあるいは呼吸から存分に吸収して、体の隅々までわたるようだ。
温泉の香りが肺の奥を通して、心の深くまで浸透していく。
顔の近くではじける気泡が、なんだかやさしい。頬ずりしているようだ。
様々な音が聞こえる。気泡が浮かぶ音、はじける音。屋外に吹く風の音、樹の枝が揺れ葉がすりあう音・・・・。
温められた血が、温泉の成分を体中に運ぶ。
そして、光のカーテンが記憶を包む。
どこかでみたような・・・・デジャヴュ。
時は流れどこにももどれないはずなのに。
記憶だけが逆流する一時。
温められた血のせいだろうか?
これが、多くの人をとらえてやまない温泉の魅力なのだろうか。