土曜日, 2月 26, 2011

吉田のうどん この夏本栖湖に行くときは食べてみたい。

富士吉田 といえば、ウィンドサーフィンしに、本栖湖へ訪れるときにとおる町だ。富士五湖道路のインターチェンジでもあり、夏場の私の活動を支える重要な場所だ。


今日は、「食彩の王国」というテレビ番組で、「吉田のうどん」を特集していた。


吉田に多い安くておいしい手打ちうどん。店は多くても、うどん屋さんは、作った分をお昼にうりさばくとそれで店をしめてしまうという。だから、ウィンドサーフィンしに行った時も、お昼に富士吉田で食事できるタイミングでいくのがよさそうだ。


あるうどん屋さんの、様子を映像で伝えていた。
原料は、小麦粉、塩、水。富士山から湧き出る水がおいしさを支える。前の日から小麦粉を練り、生地を何層にも積み重ねて、そしてまた練る。生地の発酵を促し、翌日、腰の強くなった生地をさらに練って薄く延ばす。
だしは、カタクチイワシと昆布とかつおぶしを2時間煮詰めたもの。
開店直前に生地をのして麺を切断する。

結構手間がかかっていて、筋力を使う仕事だ。できたうどんは、みるからにこしがあっておいしそうだ。


肉うどんも紹介していた。馬肉をしょうゆと砂糖で煮込み、玉ねぎを投入して作った具をトッピングしたうどん。牛肉より臭みがなくておいしいという。



馬肉は、先日丸ビルで食べたけど、あっさりしていてヘルシーでもあるので、是非一度食べてみたいと思う。



番組では、吉田のうどんが栄えた歴史も紹介していた。

吉田は、昭和20-30年代。繊維産業がさかんな町だった。工場で働く女性たちや都会から織物を買い付けにやってくる商人たちをめあてにうどんやが立ちはじめた。うどんをうつのは男たちの仕事。
女性は機屋(はたや)で仕事をし、旦那はうどんを作るという役割分担で、家に客を招いてうどん屋を始めるものもいた。こうして富士吉田には安くてうまいうどん屋がふえていった。


吉田のうどんの原点は山梨名物「ほうとう」。幅広の麺を野菜とぐつぐつ煮込む料理。書物に登場するのは、うどんより古く、平安時代に中国から伝わったとされている。甲斐の名将武田信玄がこのほうとうを合戦での陣中食としていた。山梨では武田汁ともいわれる。


もうひとつ、うどんは江戸時代盛んになった富士山信仰にかかせない名物でもあったようだ。富士吉田は、昔から富士山にもっとも近い登山口として栄えた。金鳥居は、かつては、一の鳥居とよばれ、吉田口登山道の起点とされた。
関東近郊からは富士山を崇める富士講の人々が毎年大勢やってきた。彼らは神職を務める御師の家に寝泊まりし、翌朝ここから富士山を目指した。(御師とは参詣する人々と神仏との仲立ちをする御祈祷師の略)

この富士講の人たちにふるまう特別なうどんもあった。

湯もりうどん。うどんをあたためうつわにもり、お湯だけをかける。白一色で、汚れの内容に身を清めて食べるものということで作ったもの。

夏、富士山信仰に人たちは、御師の家でみそぎをし、真っ白なぎょういをまとって霊峰富士へと昇る。おなかにはいるものも、けがれない真っ白なものがいいと、湯もりうどんがうまれ供されるようになったという。
今では、しょうゆやみそだれがおかれ、好みの味付でいただくようになったそうだ。


以下に富士吉田あたりの地図を表示しておいた。

うどん で検索すると何軒か出てくる。



より大きな地図で 富士吉田界隈の地図 を表示




本栖湖ウィンドサーフィンの楽しみが、ひとつ増えた。