日曜日, 5月 24, 2009

検見川の浜の危機

行ったこともないゲレンデのことをとやかくいうのは、少し気がひけるのですが、読んでみると共感する嘆願書なので、ブログに紹介することにしました。

検見川浜といえば、ウィンドサーフィンを含めて様々な人が海を楽しむ浜と聞いています。

その浜で行われた護岸対策により、浜の日常の利用者が危険にさらされる恐れが高くなっている点について、およびその設置の理由について説明を求めている嘆願書です。


検見川の浜護岸工事に関する嘆願署名活動

おそらく、護岸対策を施すからには、税金が投入されているはずですから、素人判断ではありえません。少なくとも以下の記録があってしかるべきだと思います。

  1. 護岸対策が必要であると行政判断した記録(その後調査および対応策検討を専門家に依頼する場面です。)
  2. 護岸対策が必要だと判断した根拠となる現況環境調査と今後のシミュレーション、そして対応に関する知見の記録(専門家の報告書です。環境アセスメントという言葉がよくつかわれます。その評価のあと対応策の設計の作業があります。)
  3. その技術論を受け入れて税金を投入することにした行政判断の記録(この判断のあとに工事業者が動きます。)
  4. 利害関係人との調整が行われた記録(海浜での工事では、漁業権などその沿岸での受益者との交渉は必ず行われます。)

海はだれのものでもありません。もちろん私権でどうできるものではありません。行政のものでもありません。その海で活動する人たちが最大の発言権を持つと思います。

一方自然は時に人間にとって脅威です。また、沿岸は国防上管理されなければならない場所でもあります。それらの危険をうまくマネージメントする技術を日本は培ってきています。その技術は、人を守るために生かされるべきであり、それはいかなる権利よりも優先されるべきだと思います。でも、その有効性については、専門家の説明が必要だとおもいます。その海から受益しまた豊かにしようと試みる人たちに少なくとも説明されるべきだし、さらにいえば同意を持って推進されることが望ましい手続きです。

ひとつ気になることがあります。写真を見る限り、今回の技術の適用に関してはその有効性について少々疑いの念をもっています。はたして、自然災害からの災禍を逃れるためにどれだけの効果があるのか、また、国防上意味があるのか?。この手の工事は税金で行われるケースが多いので、余計に心配です。
テトラポットを砂浜の一部にポンと置いたからといって、自然災害が防げるとは思えない。むしろ、子供たちや青少年の遊び場を考えた場合、どんなに大きな危険な区域をつくってしまったか?ということのほうが気になります。
専門家のどのような知見に基づいて、行政がどのような判断をして、税金を投入してこのような対処をしているのか興味深い。

「浜の性質」を人々が「海を楽しめるもの」と位置づけたいのか、「近づいてはならない危険区域」と位置づけたいのかがはっきり見えません。

ウィンドサーファーの嘆願書は、海を自然な形で利用しようとする側の代表だと思われます。彼らは、自然の恵みと共生していこうという人たちの思いを代表しています。なぜなら、ウィンドサーファーはその水の中に自らの身を落とす宿命をもつことから、その海の安全性をわが身を持って保証する人たちだからです。

でも、一方で自然を破壊してでも人類が行う人工構造物の設置が、場面においては正しいこともあり得ます。


この両者は、いずれも正しいことを主張している。そして、両者の調整の過程には作法があります。一般的に機械的あるいは集団的力を利用しようというものは、人間の個体生命力で主張する人たちに対して説明し、その人たちの生存権に配慮する責任があるということです。

身をはって自然海の安全性を主張している人たちに対して、人工構造物を設置する必要性を説く人たちは少なくとも公開の説明責任があると思います。また、ここで遊ぶ人、漁業権を唱える人、技術的あるいは沿岸統治の知見をもった多方面の専門家を含めて、公開討論が必要ではないでしょうか?


千葉県政を担う方々にも関心を寄せてほしいと思いますが、沿岸統治も含めて言えば国レベルの話だと思います。各方面の方々にぜひ紹介してい頂き、「環境立国」のために、あるいは「安全で安心な国づくり」のために、住民(利用者)参加の機会を願えればありがたいと思います。

くりかえしになりますが、この浜は、東京、千葉さらに関東圏一円の一般の方々が家族をつれて楽しめる浜として位置づけられているという理解のもとに本投稿を行いました。より豊かな海となってほしいという願いをこめている趣意を理解していただければありがたいです。